上中関には「木曽八」という伝承があります。木曽の方から来た8人のやくざが上中関に住みついて、いろいろと悪事をはたらいた。たまりかねた村人が相談して、七久里のある家へだまして連れこみ、みな殺しにして中関のサンマショに埋めたところ、何年かたって悪病が流行した。易者に見てもらうと、木曽八のたたりだということになり、写真のような供養塔を建てて慰霊祭を行い、年々続けている。というものです。
これについて、家号「堀の内」新井さんの家に伝わる「当所太古記」に、「当村木曽八の事は延享元子年に始まり、同年十二月打ち殺し、延享二丑年二月江戸へ罷り出で、同年四月相済み申す事なり」と記されています。
この供養塔は明和7年(1770)に建てられたもので、事件から26年後の建立です。表面は「三界万霊」ですが右側面に「志無縁菩提」とあり、隆芳寺の過去帳には「照頓禅定門、木曽八戒名也」とあるのを見ると、木曽八は8人ではなく1人のことのようです。 (H4・12)