園原の史跡を尋ねた人なら誰もが立ち寄る月見堂(夜烏山広拯院)の正面に、金色の文字を陽刻した額が掲げられてあります。達筆な草書体で書かれていますので読めない方が多いのですが、右から「瑠璃殿」と書かれ、左方に小文字で「善光寺別当、大勧進寂暁」と署名されています。瑠璃殿は薬師堂を意味します。
この額は、比叡山延暦寺開創一千百五十年の記念事業に広拯・広済両院の遺跡顕彰のため、昭和3年7月延暦寺の渋谷慈鎧師、善光寺の水尾寂暁師ら5名の調査団が激しい雨の中、神坂峠を越えて園原にたどり着き、里人の温かいもてなしに感激した水尾師が、後日善光寺金堂の余材で造ったこの額を送ってきたといいます。
裏面にはこの地を広拯院跡と認定した由来が刻まれている由で、「智里村誌」にその全文が記録されています。 (H8・10)