木槌薬師堂再建

 上中関の木槌洞にあった観照寺は、十二坊を有した大きな寺であったと言い伝えられています。本尊は薬師如来で、天正10年兵火に焼かれ、本尊は駒場の長岳寺に移されていて、寛政3年(1791)お堂再建の時以来、みこしに乗って還御する「里帰り」の祭礼が200年余り続けられています。近郷に例のない行事で村の民俗文化財に指定されていますが、お堂が朽ちて隆芳寺を仮のお堂として祭礼行事を済ませていたこともありました。

 昭和60年、木槌薬師堂再建の計画が具体化し、多数の方の浄財を得て立派なお堂がもとの位置に再建され、4月8日〜12日の里帰り祭礼がにぎやかに行われました。

 観照寺については、本誌でも何回か山本慈昭師や私が紹介文や研究をのせましたが、まだまだなぞにつつまれた古寺といえます。なかなか未発見の史料は出てきませんが、お堂再建を機会にもう少し研究を深めたいものです。 (S61・3)

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