宗円寺開基受頓和尚の遺言状

 阿智村伍和の宗円寺は、江戸時代の初期約百年の間この向関村の領主であった宮崎氏(半兵衛系)の菩提寺で、浄土宗の寺であります。

 この寺ははじめ雲洞院といっていたのですが、その開基である受頓和尚が慶安5年(1652)に書き残した遺書があり、十世の義天和尚が古記録をまとめた「雲洞旧記集」の冒頭に集録されています。図版があまり鮮明でなく、かつ縮小しすぎてわかりにくいと思われますが、初めに「手形」と書かれていて、浄久寺は雲洞院を末寺のようにいうがそうではないと、自分の入寺したいわれなどを述べているもので、宗円寺の創建を知る上で貴重な史料です。

 中に「愚僧は明日をも存ぜぬ老体ゆえ」と書いていますが、筆跡はのびやかで美しく、次代住職の代筆かも知れません。  (H1・11)

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