駒場の天台宗長岳寺は、中興開山の肥前法印(永正元年寂)から数えて現住職の入和尚さんで28代になるといわれます。
寺の北側斜面にある同寺の墓地には歴代の住僧の墓石が並んでいますが、その中に一基、写真のような角柱形のものがあります。高さは55pほどで、表面は風化していて判読が困難ですが、写真の碑面は上部に梵字が一つあって、第一行目は「當寺六代祐教法印」と読むことができます。祐教法印は下条家出身で下条家没落の時、鶯巣の洞で自決した松泉和尚その人です。これを手がかりに解読しますと、「七代廣海、八代廣屯、九代俊徳」と寺史の歴代(村誌参照)と照合し一致します。
結局正面に初代を刻み、左面に二〜五代、背面に六〜九代、右面に十〜十三代と刻んだ墓石で、最後の十三代の寂年が慶安2年(1649)ですから、江戸時代前期の建立と推察できますが、あまり例のない十三代一括の墓石の理由は何だったのでしょうか。 (H6・6)