梅松山長岳寺之景

 下の絵図は、明治34年刊行の「日本名蹟図誌第七編・信濃宝鑑七巻」合資会社名古屋光彰館蔵版=同館発行の中にあるものです。この本は上下伊那の地誌的なものですが、特に寺社に重点をおき、主要な寺社についてはこのような絵図を1〜3ページ大の大きさで由緒を付して折込みに挿入し、いわゆる「見る地誌」の特色をもたせています。

 阿智村関係では、阿智駅址、阿智関址、園原伏屋里、園原山、昼神、神御坂、暗白の滝、長岳寺、浄久寺、隆芳寺、宗円寺、安布知神社等が掲載されていますが、絵図の載っているのは長岳寺と浄久寺の二枚だけです。記事は園原と神御坂は比較的詳しく記述されていますが、その他は概ね簡略です。絵図に付された寺社の由緒は詳しいものが多いが、縁起をそのまま採録してあるので歴史的には首肯しがたい記述も多いのはやむを得ません。

 この長岳寺の絵図は上町当時を偲ぶに充分でしょう。このころの山号は梅松山であり、本堂の前に梅と松とが左右にあるのがわかります。また、参道入口に洋風のランプのようなハイカラなものがありますが、これは何でしょう。駒場の丈六原に阿知川発電所が出来たのが大正三年ですから、この時はまだ電灯のない時代で、多分ガス灯か、お灯籠と思われます。この頃の長岳寺の住職は寺小屋師匠をし、後長年役場吏員をつとめた松岡広賢和尚でした。 (S56・8)

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