市ノ沢の大井ばたの水田の井口に、写真のような石が一個ころがっています。
このあたりは、長岳寺平といって、安永の初年(1772)ころまで天台宗長岳寺のあったところで、この石は当時の長岳寺の堂宇の礎石であったとみられていますが、本堂の礎石か門またはその他の建物の礎石かはわかりません。
一応四角に形どり、柱の太さに合わせて彫りくぼめ、更に柱の心になる部分を四角形に刻りくぼめてありますが、外周の面と柱の面は平行でなく45度ねじれた向きになっていて専門家が見れば一目でどこに使われた礎石か言い当ててくれそうに思われます。石の一辺が50pほどあったと思われますが、武田信玄がこの寺で亡くなったとすれば、この石はそれを知っているはずです。
(S59・11)