大正時代の浄久寺

 駒場の米沢山浄久寺は、浄土宗の古刹で、江戸時代は十三石という朱印状の寺領をもつ寺院でした。かつて会地小学校の校歌に、
   春は桜の 浄久寺
   清きこころを 修めつつ
と歌われていたように、この大正時代の絵はがきを見ますと、まるで舞台の背景画を見るような美しさと、幻想的な風趣があります。

 熊谷元一先生の「駒場近昔こぼれ話」にでてくるのは、この時代のお話で、甘茶のビンをかかえた子供が三々五々登ったのも、はなくそだんごを食べながら下りてきたのもこの参道の坂道でした。今は中央自動車道がこの桑畑を埋めつくして当時への回想さえもさえぎってしまいました。
  (S57・4)

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<参考>下図は、明治34年に描かれた浄久寺の風景で、『信濃宝鑑 7巻』に掲載されたものです。 (さんま)