筆者の自宅近くは、昔から「へんびのみや」と呼ばれていた。天保8年(1837)の絵地図にも「蛇の宮」と明記してある。ここに小さな祠があるが、これは増田氏(繁行=しげよ)の氏神様で、聞くと「お諏訪様」だそうで蛇のことは聞いてないという。
「巳の神」は弁天の使者とも言われ、水神として井戸や田の湧水地に祀られるもののようだが、実際この地は中関下の水田の湧水地としては最も上位の位置に当たる。そのあたりに古い由緒があるのかもしれない。
→ 『探史の足あと』 p.29
蛇の宮の大杉を偲ぶ歌
「へんびのみや」は、阿智高校へ上る曲がり角
の上にある。
社の後ろには、新しい杉が植えられていた。