敗者の烙印(らくいん)
昭和20年8月日本が敗戦し占領軍が進駐すると、直ちに郵便物の検閲を始めました。長野県内くらいの郵便は無関係だったかと思われますが、大都市を経由する封書は、その下部を切り開封検閲の後3p幅ほどのセロテープで再封し、金魚鉢のような形の中にCPと略号の入った印が押されて配送されました。
セロテープには図版のように「開けて見たぞ」の印刷があり、裏面にも市民の郵便物を監視する占領軍の機関であることを示す文字が入っています。戦時中の日本にも出版物の検閲はありましたが、個人同志の信書をこれほど大ぴらにぬすみ読みされたことはありません。
昭和21年の4月から11月まで横浜の国立病院で戦病の療養をした私は、故郷の母や弟妹との通信が途中で開封して読まれるのは何ともやりきれない不愉快なことで、まさにこれが敗者の烙印かと金魚鉢型のスタンプを嫌悪したものでした。
図版は、私の母が終戦の2か月後に知人(疎開児童の父)あてに出した封書の表面です。 (S61・9)