工事中の三穂ダムのゲート
昭和3年から4年にかけて、飯田市三穂の立石に発電所建設の工事がありました。その主水源は駒場の水神淵のところで、阿知川の水をせき止めてトンネルで送るというものでした。
会地村にとっては、工事の労務者が前例にないほど多数入村し、中には家族同伴の労務者も相当あり、学童も20人位いました。工事の方法は現在に比べれば幼稚な人力作業が多かったが、それでも「クラッシャ」という一かかえもある石を砕く機械や、トンネルの先端でダイナマイトの埋穴を掘るための圧搾空気をつくるコンプレッサーなどが、あちこちで異様な音を立てていました。
この写真は駒場の「取入れ口(現在は三穂ダムという)」の関門で、切石をコンクリートで積み上げた少し変ったゲートです。まだ工事半ばで、たぶん昭和3年初冬から同4年早春の間の撮影と思われます。
撮影したのは筆者の父で、当時自宅療養中でしたが、親戚の人に勧められ借りたカメラで体力保持の試歩がてら写したもの、阿智村誌にも四枚ほど挿入されています。背景の左端に見える大きな屋根は、出来たばかりの駒場劇場です。 (H3・11)