駒場学校設立の届書
 明治五年に「学制」が発布され、「邑に不学の戸なく、家に不学の人なからしめ…」という太政官布告により、全国津々浦々の村に至るまで学校設立をうながしました。写真は駒場区有文書の中にある駒場学校設立の届書の控えです。(読み下し文にて紹介します)

恐れ乍ら書付を以て御届申し上げ奉り候 先般御聞済み成し下し置かれ候小学校、村方長岳寺ニ而当月廿五日創立仕り度く存じ奉り候間、此の段恐れ乍ら書付を以て御届け申し上げ候 以上

  駒場村上町名主 北原勇吉
  同村 下町名主 村瀬忠左衛門
 明治五壬申年八月
筑摩県 飯田御出張所


 これは名目上の学校設立であったかもしれませんが、学制にいちはやく対応したことを示す文書です。この届けに対して、当然認可されたものと思われます。  (H3・10)
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