駒場の安布知神社の拝殿の向って右方十五m ほどのところに写真のような石の祠(ほこら)があります。高さが八八m ほどもある大型で、厚く反りのある屋根石を本体部と二本の石柱が支えていて、右側の石柱に「寛文十一年八月」と建立の年号が刻まれ、その側面には「本社建立林杢太夫(もくだゆう)」と刻字されています。
この石祠について、当時安布知神社の社家(神主の家)であつた清坂(よさか)の林家の系図に次の記事があります。
「清深杢太夫、熊太郎、(中略)社中二石霊神足(是カ)也。公事至(くじし)杢太夫卜云。十六才ノ年ヨリ江戸奉行所へ二十二度行キ終(つい)二一度モ負ケシ事ナシト云。後ニハ役人衆中申シ合せ負ケシ候由、夫ヨリ公事相止メ候トノ事。我レ死後者(は)至公明神卜祭レト有(あり)テ寛文十一年八月建立シテ茲(ここ)ニ祭ル。一心掛願則(すなは)チイカナル公事ニモ勝利ヲ得サセントノ事ナリ。」
ここで公事とは民事訴訟のことで、杢太夫は訴訟代理人として弁舌達者な勝気の強い人だったように思われます。
(S61・8)