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いよいよ総選挙突入です

 インターネットでの(選挙)宣伝は禁じられているので、今週と来週は純粋「読者ニュース」です。インターネットでご覧になっている方には2週間のお休みです。

選挙法規制の歴史
 公示後の音の宣伝は基本的に候補者カーだけになることは前に書いたとおりです。
 ずっと前のことですが、そのころは「赤旗」新聞の音の宣伝が自由にできました。これが禁止されたので国会で党議員が適法と確認して政策パンフレットの宣伝カーを出すと、今度はこれも禁止されました。日本共産党の地方議員や党組織だけが演説をするので自民党がこれを次々に禁止する、このパターンで選挙法は変えられてきました。立会演説会も、自民党の「大物」議員の演説の後で日本共産党の候補が批判をするので「こんなことはもう次からやめだ」といって選挙法を変えたというエピソードを聞きました。相手の得意技を封じて勝敗を争うなどということは政治の世界だけで通じることでしょう。
 ということで7・8月に全力投球した街頭演説は200回になりました。読者のみなさんからは「これが新しいマイクだね」「目標どおり回数は進んでいるかね」などと声をかけられました。

暖かかった「冷たい」差し入れ
 自分の議員生活を通じてこれほどの回数の演説をした経験はありません。 100回まで18日、200回までさらに9日かかりました。自分なりに今の情勢と党について心行くまで語りました。
 16日の日曜日を最終日と決め、この日は宣伝カーの入りにくい市の中心部を歩いてスーパーメガホン(ハンドマイク)で訴えました。あいにく、この日に限って前日までの「曇りに近い晴れ」から一転「快晴」。帽子をかぶって出かけましたが、背中を汗が流れるのが分かりました。ところが途中2ヵ所で氷を浮かべた麦茶のコップを差し出されました。一人の方は演説の途中で喉が渇いたと感じ始めたとき後ろから差し出され、タイミングのよさにビックリしました。ペットボトルのウーロン茶の差し入れもありました。
 こんな経験を含め、今回の遊説は私にとって大きな記念碑となるでしょう。「票が少なかったら」と心配する私に、同行者は「演説をしなければもっと少なかったと思えばいい」と慰めてくれました。

道志村の小集会で
 20日、道志村で小集会があり、招かれて10数人を前に話をしました。私の話が終わったあと、盛り上がった村長選についての話し合いに学ばされました。
 都議選と同じ日に執行された村長選は現職の大田氏が圧勝したのですが、事前の予想は違っていたようです。集いでは経過と結果、感想が語られ、図らずも総括の場となりました。そして直接関わった人でさえ感動を新たにしたようでした。また私などが話すまでもなく、合併問題以後、村の将来について考えてきた人たちは国政についても高い認識を披露されました。道志村恐るべしです。