日本語を大切にしたいと思う
新年1月の市の広報を見た何人かの「赤旗」読者から「カタカナばっかり」という感想が寄せられました。カタカタの多用に違和感を持つ市民は多いようです。そんなおり一冊の本に出会いました。
日本語が亡びるとき
英語の世紀の中で
水村美苗著 筑摩書房
1月11日付日刊「赤旗」の書評欄で紹介されていたので読んでみました。
この本ではいくつものことを教えられました。もともと世界で通用していた書き言葉はラテン語、ギリシャ語、漢語だけで、著者はこれを普遍語といっています。これを図書館と見立てて、ここに出入りする国々がその普遍語と交流しながらそれぞれの国の書き言葉を作り上げていったのだそうです。その間には戦争もあり消えていった言葉もたくさんありました。明治維新はその点では日本語の危機でしたが、幸い日本は侵略を受けず、植民地化されなかったために他の国の言葉の使用を強制されませんでした。それどころかこの本では触れていませんが、その後朝鮮などに日本語の使用を強制さえしました。
日本語が長い時間をかけて「漢字仮名交じり」に到達した歴史は学ばされました。
その筋のベストセラーだが…
しかし、この本は10月31日に出版され、書名が衝撃的だからか一気にベストセラーになったものの、ネット上でかなり厳しい批判もあることが分かりました。一つは日本語の成立そのものについての異論です。ある評論家は「はっきり言って、彼女の日本語の知識は付け焼刃ですね」とまで言っています。もう一つは明治・大正・昭和の近代文学の絶対化に対するものです。日本語の歴史では前近代の発展こそ重要だという主張でした。くわえて現代文学を否定的に描き、そのことを根拠に必要以上に危機をあおっているという批判もありました。ただ、英語を使いこなし、フランス人にフランス語で講演をする著者が近代文学、とくに夏目漱石をよく研究していることが分かりました。日本語が亡びるとは思えませんが、大切にしたいという思いは共有できます。
腰の定まらない日本政府
終わりのほうで、著者はこれからの日本語のあり方を論じた(ここにも強い批判がありますが)なかで政府の方針に一貫性のないことを指摘しています。その一つに「漢字廃止論」があります。「1946年、GHQの占領下で、漢字の全面的な廃止が政府決定され、実際に廃止されるまでのあいだ、当面使用される漢字として、1850字の『当用漢字』が定められた」。知りませんでした。
昨年の文部科学省の「新学習指導要領案」がほかの教科の時間を増やしながら国語の授業を週3時間に据え置いたことに対する批判も共感できるのではないでしょうか。
この本で漢字、漢文を根底に置いた熟語、「漢字仮名交じり」の日本語の表現力の豊かさや奥深さを確認して、あらためて都留市の教育委員会の「学びのまちづくり課」という命名に「何とかならないかなあ」と思います。