高齢者を尊敬するわけ

 第868号で、ある高齢者からいただいた手紙を紹介しました。先日、またも高齢者から手紙をいただきました。

はがきに込められた思い
 3月議会がヤマ場をこえて、ようやく訪問・対話活動を始めた頃のことです。
 例年、3月議会は新年度予算案の分析があって大変なのですが、今年は自治会の引継ぎ事務に選挙準備が加わり、想像以上でした。議会には顔を出すだけで質問は一切せず、組織めぐりに精出す議員を横目で見ながら…。
 訪問した中に敬虔なクリスチャンのFさんのお宅がありました。内容は忘れましたが、子どものころ誘われて出席した日曜学校でFさんの話を聞きました。そのころ、すでにFさんは「おじいさん」に見えました。一体、何歳になられたのだろうと思っていたら、そのFさんからハガキのお手紙をいただいたのです。私の亡父より二歳ほど若いことが分かりました。当時は壮年です。私たち子どもを相手に腰を曲げて話されるしぐさに「優しいおじいさん」と写ったのかもしれません。  


 長い付き合い、おぼえていてくださってありがとうございます。寒い日に一人でビラ配り、感じ入りました。私、93歳、年金暮らし。年金カットもいわれていますが、どうなりますか。
 「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」 箴言19-21
 寒のもどり 寒いです。お身体を大切に。
   山歩き趣味
 山にはけわしい道があるよ
 足元ふみしめ さあ 登ろう
 すすめ 友よ すすめ
 真理をもとめて すすめ
3月21日  
 短い文章に込められた「思い」の深さ、大きさが伝わってきます。
 交友にたいするお礼、私の行動へのねぎらい、ご自身のくらしの現状と、柔らかくも的確な政治批判、そして、やがて訪れるであろう平穏な生活への確信、さらに私の趣味が山歩きと知って寄せられた人生への励まし、すべてが凝縮されています。
 手紙をくださった行為そのものが、私たちあとに続く者にたいする「教え」です。いまの政治が知ろうとしない高齢者の思い、そこには本当の「美しい日本」の形があります。

父に教わったあいさつ
 思い出されます。32年前、父が地元自治会の訪問活動に一緒に歩いてくれました。そのとき、父は訪れる家々で言いました。
 「用があれば来るで…」。応じるあいさつは「お互いさまだよぉ」でした。
 ご無沙汰をしながら、自分の都合で訪問する勝手をわびる父、「こちらこそご無沙汰で申し訳ない」と返す相手。短くも、交わす言葉には互いを思いやる気持ちが溢れていました。あれから32年、そんな心情を強く意識する年齢になりました。
 同級生をはじめ多くの方から励ましの言葉をいただき、感謝しながら迎える告示日です。


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