「しんぶん赤旗」2万号の重み

 九州・四国地方が梅雨明けだそうですが、歴史的な豪雨と長雨が各地に大きな被害をもたらしました。自然の脅威という前に、国民の命と財産をまもることが政治の根幹にすえられていないことを痛感します。

歴史の証人、改革の指針
 7月23日、「赤旗」が2万号に達しました。  23日付「赤旗」に「2万号座談会」が掲載されました。ジャーナリスト松田浩さん、新婦人会長高田公子さん、赤旗編集局長奥原紀晴さんが「マスメディアの現状と『しんぶん赤旗』の役割」というテーマで、2ページにわたって討論をしています。その前日には「未来をひらく 歴史をきざむ」と題した特集記事が、やはり2ページにわたって組まれました。この2つの特集で「しんぶん赤旗」の現実にはたしている役割=今日的役割と歴史的役割が浮き彫りになっています。
 歴史に「もしも」はないといわれます。過ぎてしまったことは変更がきかないこと、その時々の判断や言動の重さを説く言葉です。
 歴史を語るとき、日本の侵略戦争にどういう態度をとったかが、最大の試金石になります。いわゆる「満州事変」にさいし、大手各紙が関東軍の主張をそのままに報じ、戦争の旗振り役をつとめたのたいし、「赤旗」は日本帝国主義の侵略戦争と見抜き、正面から批判しました。歴史をまともに見ようとする人にとっては既に常識となっている事実です。「赤旗」そのものの発行がいかに困難な事業だったかも日本の歴史の重大なエピソードです。そして敗戦は「非国民」と「愛国者」が逆転した歴史の大きな一こまでした。憲法を変えようとする勢力はこうした歴史に学びません。これこそ「平和ボケ」です。
 戦後の「赤旗」の役割を論じるとき、「タブーのない新聞」が一つのキーワードです。菊タブー、鶴(創価学会)タブー、「解同」タブー、角タブーなど、一般紙が書けないテーマがいくつもありました。26日、NHKテレビが大阪市の「解同」の事件を特集的に取り上げていましたが、こうして普通に報道できるようになったのは最近です。「赤旗」が「解同」の暴力事件を正面から追及していたのは30年も前で、当時、メディアはほとんど取り上げられませんでした。

ベトナム世代の感慨
 アメリカがベトナムでトンキン湾事件をでっち上げ、北ベトナムに本格的に爆撃を開始したのは1964年8月でした。私が共産党に入ったのはその翌年で、青年時代は「ベトナム人民との連帯」を柱に正義と社会進歩を論じたものでした。
 当時、北ベトナムに記者を常駐させていたのは「赤旗」だけで、ほかの新聞はアメリカ発の戦況しか報道できず、ベトナム戦争の実態は「赤旗」でなければ分かりませんでした。
 アメリカがベトナムから完全に撤退したのは、私が市議に初当選した3日後でした。
 いまようやく小泉「改革」に対する批判が始まっていますが、批判は事態の進行の中でこそ意味があることを歴史は教えています。政治が「主人公」を取り違えているいま、「赤旗」の役割はますます大きくなっています。


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