犯罪と「犯罪的行為」の差

 山に登り始めたころ、「山登りとは何か」をテーマに山に関係する本を何冊か読んでみました。「そこに山があるから」などという山の哲学を確立しようとしたわけではなかったのですが、山に取りつかれた気持ちをもてあまし、一体、その根っこにあるものはなんだろうと思ったからでした。
 読んだ本の中に、原真(はら・まこと)著「快楽登山のすすめ」がありました。著者は医師で一流の登山家です。この本を読んでから、「趣味は」と聞かれたら「登山」ではなく「山歩き」と答えるべきだと思いました。著者にとって「登山」とは「教養」であり、世界最高峰の山々を自分の体力・知力の限りをつくして登ることでした。

「法律にふれない犯罪」とは
 この「快楽登山のすすめ」の中で、危険な登山家を評して語った「死神」(=他人のエネルギーを吸い取り、他人に事故や失敗を起こさせる人間のことだ。登山家でいえば遭難に遭って仲間は死ぬのに、自分はそのたびに生きて還るような者のことだ)という章のなかに次のような文章があります。
 「法律にふれない犯罪というのは、本当の犯罪より分かりにくい分だけ、たちが悪い。犯罪というのは、言葉のうえでは法律にふれるもののことを意味している。法律にふれない犯罪とは、道義上の概念である。弁護士や宗教家や医師のなかにその種の犯罪者はいくらもいるし、なんといっても政治家や役人のなかにはごまんといる。彼らによって友情は失われ、家庭は破壊され、国は滅びる」。

押し込み強盗の手口を想起
 原さんは「法律にふれない犯罪」を「道義上の概念」といっていますが、法律を変えて「法律にふれない状態」を作り出した政治家の犯罪性はどうなのでしょう。「道義上の概念」どころではない、法律にふれる犯罪以上に悪質といえないでしょうか。
 「鬼平犯科帳」(池波正太郎著)などの時代小説を読むと、盗賊の手先が何年か前に商家に雇用人として入り込み、信用を得たうえで商家の内情を通報したり手引きする役目というのがあります。最近の耐震偽装事件やホリエモン事件をみると、こうした押し込み強盗の手口に似ているような気がします。法律を変え、チェック機関の機能を弱めておくというのは通用口や木戸のカギや猿(さる)を外しておく手引きに似ています。
 屋敷の間取りや小判の隠し場所などの情報を伝えるのも内通者の仕事ですが、それと似て、法に抜け道を作っておくのも以心伝心のような気がします。

出番確認「たしかな野党」
 逮捕者をだした防衛施設庁の官製談合事件は高級官僚の犯罪ですが、これはもう、悪代官と悪徳商人そのものです。
 残念ながら、国会は民主党の「メール事件」の失点で、小泉政権に助け舟を出す結果になってしまいましたが、与党と「改革」を競う野党ではなく、国民の立場でしっかり追及できる「たしかな野党」の必要性が証明された一幕でもありました。


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