9月議会最終日は、いつものことですが前年度決算認定についての討論が行われます。今週、来週は私の反対討論です。
世論を惑わす言葉のマジック
いま、政治の世界で言葉がもてあそばれています。たとえば「規制緩和」、「官から民へ」、「三位一体の改革」などです。それぞれその言葉に込められている国民の期待とは裏腹の意味で使われています。またそれは羊頭狗肉の場合もあるし換骨奪胎の場合もあります。
先日はテレビでタクシー業界の「規制緩和」でタクシー運転手が悲惨な状態に追い込まれている実体を放映していましたが、それは酒の販売業者をはじめとする私たちの周りの商店にほとんど例外なくかぶさってきている現実です。公によるさまざまな規制が国民に不便を強いているという認識のもとで始められた「規制緩和」は、大手が零細業者の分野に進出するためのスローガンだったことがはっきりしました。「三位一体の改革」の場合は、ナショナルミニマムを保障するために国が地方へ交付する交付税交付金の削減の方便として使われています。私たちがこれに対置すべき言葉は、実現されていない真の「地方分権」であり、「地方自治の拡充」です。
財政危機打開の責任は国に
そもそも「改革」が叫ばれる直接の引き金となった国・地方の莫大な借金は、その原因と責任の正確な認識なしに解決はありえません。少なくともその主たる責任は国にあり、地方にそのツケを回すのは本末転倒といわなければなりません。地方は地域住民の生活に直接責任を負っています。とりわけ今、長命、長生きの時代の到来を共に寿ぐために十分な保障をしなければならず、そのためには直ちに先進国並みの財源を国は交付しなければなりません。不老長寿は人類の理想だったはずであり、ようやくそれが実現しつつある時代に高齢者に惨めな思いをさせるようなことがあってはならないのではないでしょうか。まして、パイを小さくしておいて、高齢者優先か、若い人優先かなどと争わせる卑劣な世論作りは許せません。
私は、こうした立場から、地方は国に対して、ムダな公共事業と5兆円に及ぶ軍事費にしっかりメスを入れること、80年代末には20兆円あった税収が10兆円にまで減った法人税収入を元の水準に戻すことなど、これらを聖域にしておいて財政再建などありえないことを強力に主張すべきだと考えます。
こうした認識の元、決算認定について、3点だけ触れたいと思います。
苦しくなっている市民生活
第一は市民生活の困難を直視する問題です。それは市税、国保税の滞納に表れています。
市税滞納額は平成12年から14年にかけてはほぼ横ばいですが、15年、16年と急激に増加しています。また国保税は、平成16年の滞納額は前年より1,670万円余り、1.29倍に達し、4年前の平成12年と比べると4,700万円余り、実に2.7倍に達しています。