新年明けまして
おめでとうございます

 災害は海外で大規模でした。スマトラ沖地震は昨年と今年の境をなくし、ただ私たちが生きて新年を迎えることができたことのみを小声で「おめでとう」と言い合うよう求めている、そんなプレッシャーを感じながらの年明けでした。世界中の人が平和で心豊かに暮らせる世の中を作ることが犠牲者に報いる道と心得、今年もがんばりますので変わらぬご支援をお願いします。
 ただ、今週だけは「私」の正月を記させていただきます。

元旦登山は中止、除夜の鐘つき…
 暮の30日、高川山へ元旦登山の下見に行きました。林道は相当荒れていて、一部に崩落もありました。残雪の上に31日も雪という天気予報、装備が不十分な初心者がいることを考慮して中止することにしました。
 年越しそばを食べたあと、帰省していた下の息子の求めで妻と3人、長安寺へ除夜の鐘をつきに行きました。同級生のH君が「円満袋」を渡し、鐘つきの順番を指示するなどの世話を焼いていました。実によく働く人です。雪が降ったあとだったためか人出は多くありませんでした。
 帰って「さて一杯」と座ったとたんに電話が鳴り、新聞の搬送が乱れたということで代わって搬送することになりました。大月駅から河口湖まで走り、ついでに朝の当番のコースを配って戻ったのは3時過ぎでした。付き合いのいい息子が横に乗ってくれたので思わぬ親子の対話の時間になりましたが、多難な新年を予感させる年越しでした。

賀状を制限する不思議な公選法
 数年前の公選法改正で議員は選挙区内の有権者に年賀状を出すことを禁止されました。許されるのは返信だけです。ということで市外の知人を優先して年賀状を書き、続いて元日以降にいただいた年賀状に返信を書くことになります。結果的に三ヶ日に年賀状書きを強要する公選法に理不尽さを感じます。

川茂の堰堤でヒドリガモを見る
 娘夫婦とカモを見に行ったのは4日でした。双眼鏡の使い方を妻などに教え、かわるがわる覗いていると見慣れないカモがいることに気がつきました。オスの頭が白っぽいのを確認して図鑑を開くとヒドリガモと分かりました。初めての出会いです。顔から首筋にかけての色の美しさは図鑑以上でした。
 そのほかにこの日見られたのはマガモ、キンクロハジロ、カルガモ、それにアオサギだけでした。常連のコガモ、ホシハジロなどの姿は無く、全部でも50羽ほどでした。ヒドリガモが見られたのは収穫でしたが、年々数が減っているのは寂しい限りです。

穐吉敏子「ジャズと生きる」を読む
 暮にMさんから贈られた表題の本(岩波新書)を正月に読みました。穐吉敏子の天才とたゆまぬ努力、強靭な精神とそれでも避けがたい苦悩、アメリカで生活基盤を確立する芸術家の困難、人種偏見などが伝わってきました。
 この本を片手に彼女の演奏を聞けばジャズが分かるかなと思わせる好著でした。


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