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大阪市はなくなりませんでした

 今週の「赤旗」日曜版のトップ記事は大阪市でした。「『都』構想否決 新しい大阪へ」「共同さらに」です。

二つのすごい数字
 同じ日、17日に沖縄では県民大会が開かれ、3万5千人が集まりました。東京で集会を開いても3万5千人の集会はめったにありません。沖縄県の人口は142万人、東京のほぼ10分の1ですから大変な人数です。
 そして大阪市の住民投票の数字にもう一度驚かされました。「赤旗」に載っていますが、「都構想」反対が70万5585票、賛成が69万4844票、その差1万741票は賛否合計数140万429票のわずか0・767%です。現地のたたかいや党の見解を読んでいただけばいいのですが、私の印象も書いておきたいと思います。

感じた大阪の偉さ
 その一つは大阪維新の会に対決して “一点共闘” を実現した共産、自民、民主、公明の偉さです。あの沖縄でさえ、現地の自民党は県民を裏切りました。その結果、四つの小選挙区で全部議席を失いました。ところが大阪の自民党は、菅官房長官が「個人的には理解できない」といって圧力をかけたのに態度を変えませんでした。
 もう一つはテレビで見る橋下人気と、それだけでない「大阪を変えたい」という市民の意志を敵に回すわけにはいかないむずかしさです。結果的には「都構想反対」「大阪市を守ろう」という大きなスローガンで団結し、投票率の高さ(66・83%)にもつながったと思うのですが、それを作りだした努力は並大抵ではなかったでしょう。

万歳をしました
 オール大阪の勝利で、橋下市長は12月の任期をもって引退すると言明しました。メディアは橋下代表の求心力を欠いた維新の会は解体を避けられないだろうと言っています。実現すればすばらしいことです。自共対決の政治の実態を分かりにくくしてきた勢力が消えるだけではありません。参議院では維新の会の協力がなければ憲法「改正」発議に必要な3分の2は確保できません。自民党の歯ぎしりが聞こえるようです。
 17日は党の南関東ブロック後援会主催の前進座の観劇の日でした。帰ってからテレビの開票速報に見入りました。途中から「賛成」がリードし90%を超えても逆転はありませんでした。しかし、最後に出口調査の結果から大逆転となりました。
 大阪に派遣された次男から「嫁の実家のみなさんと万歳をした」と電話がありました。

ポツダム宣言を読んでいない!
 20日、党首討論がありました。「ポツダム宣言は戦後政治の原点。日本の戦争を侵略戦争と認めるか」という志位委員長の追及に、安倍首相は「その部分はつまびらかに読んでいない」と答えたのです。それなら脱却しようという「戦後レジーム」って何でしょう。
 ヤルタ・ポツダム体制以外に「戦後レジーム」があるというのでしょうか。