県議選に出馬
ビックリさせたでしょうか
2月10日、県庁記者クラブで会見し、県議選立候補を表明しました。これで立候補は正式なものとなりました。
市議生活「40年をふりかえる」連載を始めたところ、私の周りの人は読者から「義孝さんは引退するのか」と聞かれたようです。
私の引退は地区党会議(党郡内東八西八地区委員会の大会)で決まっていました。あえて早くから宣伝する必要もないのでお知らせしませんでしたが、これは既定の事実でした。問題はそのあとでした。
最近になって党から県議立候補の要請がありました。10期という長い議員生活が終わろうとしているときです。ようやく人生の一服ができると思っていた私は断る理由を探しました。
断れない「党員のあり方」
しかし、考えれば考えるほど、私の断る理由は自分勝手なものに思えてきました。一緒に南アルプス市選挙区(定数3)に遠藤昭子さんが立候補するというのです。遠藤さんは12月の衆議院総選挙に立候補したばかりです。当選が難しいことを承知しながら、有権者の期待を一身に引き受けて、国政選挙になんと9回も立っているのです。それだけではありません。私に立候補要請する県党の花田仁県委員長は1月の知事選に立ったばかりです。花田さんも国政などに8回立っているといいます。
落選必至といっては失礼ですが、そして選挙では初めから不可能ということはありませんし、最近の情勢で見れば当選する可能性のない選挙はありません。しかし、私の市議選と比べたら当選の可能性が低かったことは明らかです。かつてはこういう任務は桜井真作さんや福田剛司さんが負っていました。それが今では私よりずっと若いお二人が引き受けているのです。私はといえば市議を10期、2期目に7票差で涙をのんだとはいえ、補選で返り咲き、浪人期間はわずか2年半で済みました。桜井さんや福田さん、花田さんや遠藤さんの選挙経験からみたら「ヌクヌク10期」、慙愧(ざんき)にたえない気持になるのです。それだけではありません。
断れない「客観的状況」
これまで何人かの熱心な支持者から詰め寄られました。「県議選の無投票を容認するのか。私は誰に投票すればいいのか」と。これは辛い問いかけでした。しかし、共産党の候補者選びはたいていの場合、他薦です。それがいいかどうかは別として、自ら手を上げる例はあまりありません。私は問いかけに対して無言でいるしかありませんでした。しかし、この支持者の問いかけは「ヌクヌク10期」の私には厳しいものでした。年が変わってからも問いかけは続きました。
いっせい地方選挙は日本共産党の躍進によって「自共対決」をいっそう浮き彫りにし、安倍政権を追い詰める選挙です。その一翼を担えることを光栄と受け止めるべきなのでしょう。「出るからにはがんばれ」の声も寄せられています。人生最後のがんばり時と心得て全力を挙げます。
読者のみなさん、よろしくお願いします。