40年をふりかえる(1)
「思いがけない立候補」前後
この4月に市議初当選から40年になります。「あっと言う間」だったか、「長い道のりだった」かは、そのときどき振り返る気持によって変わりますが、4年ごとに選挙の洗礼を受ける立場は1年1年の四季を味わう40年の人生より短いような気がします。しかし、事実として40年経ったのです。年齢も32歳の若者がこの1月には72歳になります。古稀を過ぎましたが、昔と違い70歳はそれほど稀(まれ)ではありません。
これから何ができるかできないか、議員の40年とその後とどちらが真の人生かというほどのことではなくても、それなりに自分のやりたいことを見つけていきたいなどと考えているところです。そして、その前にこの40年を振り返ってみようと思ったのが、今回からの連載です。人は回り合わせで色々な事件にめぐり合うと痛感しています。
「知は力」を教えた指導者
私の前に都留市議会に在籍した共産党の議員は小林健造さんだけでした。しかし、任期はわずか半年でした。その前に、議長選に関わる汚職事件でリコール運動が起こり、自主解散した議会の、最後の旧町村ごとの選挙区議員として当選したのでした。私は新婚旅行先の長崎で当選の知らせを聞きました。しかし、そのあとの定例選挙ではせっかくの議席を失ってしまいました。
その4年後、私は国鉄に勤めながら党郡内地区委員会の常任委員として市議選の候補者を探す立場でした。しかし要請にこたえる人は現れず、党中央から「全国で候補者が決まっていない3自治体の一つ」という指摘を受け、地区委員長に「私が立ちます」と告げ、立候補が決まりました。
私の立候補を受け、地区委員長は党中央から発刊されたばかりの「地方自治法ハンドブック」をプレゼントしてくれました。この本は私の「バイブル」となりました。しかし、この地区委員長のすごいところはプレゼントだけで終わらなかったことです。選挙後、この本を教科書に地方自治法の勉強をしようと提案し、私に講師をやらせたのです。
あとで考えると、これは私にも党機関にも必要な学習でした。私が議員になる前の地区委員会は議員に対する指導が十分でなく、40代に入ったばかりの若い地区委員長はこれを改善することを目的に学習会を計画したようです。
受け止める立場の人たち
当選した私を待ち受けたのは40代半ばから50代前半(55歳定年)の課長たちでした。どの課長も貫録十分の能吏ばかりでした。その課長たちが若い共産党の議員を珍しがり、みな「赤旗」を購読してくれました。
そのなかに実家の近所に住むI課長がいました。この課長にはその後もいろいろ教えていただいたのですが、奥深い対応は新採用の職員研修で議会を傍聴させたことでした。予算か決算か記憶にありせんが「初めて反対討論をする議員が出て、これが議会だと教えることができました」というのがそのときの言葉でした。共産党議員誕生にたいするこの上ないメッセージでした。