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16年前の「大雪」を振り返る

 先々週の「手紙」で意外に受けたのは「16年前の大雪は小林前市長の就任直後で、今回は堀内市長の就任直後です。市長が替われば大雪が降るわけではないでしょうが、記録にも記憶にも残る雪となりました」という行(くだり)でした。「そうでしたね」と読者のみなさんから声をかけられました。そこで市のホームページの議会の検索などで当時のことを振り返ってみました。

最初の一撃は…
 2月25日、NHK「クローズアップ現代」が大雪について対策の遅れ、不手際を中心に取り上げました。その中で「いち早く対策本部を立ち上げた自治体がありました。都留市です」と好意的にスポットが当てられました。これも当時を振り返るきっかけになりました。
 「1月の8日、12日、15日と続いた降雪、とりわけ15日の雪は歴史的なものとなりました」。16年前の3月議会の一般質問の冒頭部分です。1メートルもの積雪に15日の成人式は中止になりました。
 私は大月駅に「赤旗」を取りに行き、国道は通れたものの配達はできず、そのまま帰る予定で深田辺りまで来た時、センター試験のために盛里から歩いてきたHさんを見つけ、大学に送り届けました。家に帰り、ある課長に電話をしました。「どうしている?」「家から出られません」。「あなたは『家から出られない』でいいけど、透析患者や高齢者はどうなる。ただちに対策を立てるべき」というようなやり取りをしました。
 これはかなりインパクトがあったと思います。しかし、これは私の発想ではありません。当時の党郡内地区委員長Tさんの電話指示があったのです。日本共産党は当時から「提言の党」だったのです。
 冒頭の3月議会の質問の続きにこうありました。「16日、市は災害対策本部に準じた体制をとり、必要な対策を講じました」。

防災計画と降雪マニュアル
 「災害対策本部に準じた体制」としたのは、市の「地域防災計画」で雪についての記述は「わずか1行で、積雪または雪崩による被害を予防するため、必要な措置を講ずるものとする」としか書かれておらず「人的配置でも、大雪注意報、大雪警報のさいに最も軽い第一配備とされているだけ」だったからです。
 「クローズアップ現代」では市の「降雪対応マニュアル」も大写しになりました。私は質問の続きで「業者の能力を十分に生かしつつ、地域の必要性を考えた除雪マニュアルを作り上げていただきたい」と求めました。
 小林前市長は「今後の豪雪対策を講じるため、都留市地域防災計画に雪害応急対策を位置づけ、職員の動員、配備基準、市民の援助要請に対する対応などを明記する」と答弁しました。さらに「地震災害と同時に雪害対策マニュアルを作成し、豪雪時における職員一人一人の配置先と役割などを定め、各自治会と綿密な連携のもと、迅速な対応が図られるよう努めてまいります」と答えました。このときの対応が3年後に生きました。60センチの積雪にまさに市の対応は迅速でした。