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君が代も明治憲法もドイツ製!?

  5月29日付「しんぶん赤旗」の「読者の広場」に「初めて知ったあの歌の素顔」という投稿があり、5月6日付の「朝の顔」欄で「君が代」を作曲したのがドイツ人と知ったとありました。私も見逃していた「朝の風」を再掲します(傍線小林)。


文化の移入と歴史の真実
 明治以来敗戦まで、日本は哲学も、法学(とりわけ公法)も、医学も、さらには不要の軍事やナチズムまでをドイツから学んできた。その交流史を、オリジナル・テキストで読むのがNHKドイツ語講座応用編である。
 興味深いのは、第14回「君が代が誕生するまで」と第15回「明治憲法草案を書いたドイツ人」である。君が代を作曲し完成させたのは明治政府お雇い外国人のフランツ・エッカートであり、憲法草案を書いたのは、法律顧問のヘルマン・レースラーであることが述べられている。鈴木安蔵ら憲法学者や歴史家によってすでに明らかにされているこれらの事実と人名は、不当に無視されてきた。理由は明らかだ。君が代を強制し、明治憲法を理想として、現行憲法を「屈辱」だと蔑視する改憲勢力にとって、国家や憲法が外国製では困るのである。
 彼らは弁明するかもしれない。君が代と明治憲法に尽力したドイツは、日本と対等であった、他方、日本国憲法は占領者アメリカ人がかかわった、と。改憲勢力は、憲法が生まれた背景に日本が引き起こした侵略戦争を二度と繰り返させないという国民の決意と世界の潮流があった歴史的経過を見ない。しかし詭弁を弄しても歴史の真実は隠せない。(平)


 すべてドイツ仕込みとは驚きでした。
 ところが日本政府は崇拝していたはずのドイツの戦後処理は見習いませんでした。逆に、敵対していたアメリカにすり寄り、言いなりになりました。しかも、なんでもいいなりなのに、憲法だけは占領軍(=アメリカ)に押し付けられたものだから変えるというのです。支離滅裂、恥を知らない自民党政治です。

風化せず、6・2 反原発デー
 正式な名称は「2013・6・2 NO NUKES DAY」です。東京の集会に参加しました。中央集会1万8千人、国会取り巻きデモ6万人、「人類は原発と共存できない」が確信になりました。原発輸出をすすめる首相には福島の現実が見えないのでしょうか。正気の沙汰ではありません。