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頑張る気持ちを後押しされるとき

 連休後半です。しかし連休に無関係の「サンデー毎日」の高齢者もいます。4月末のある朝、そんな一人、同級生のM君から電話がありました。こたつで居眠りをしていた私は、妻の「Mさんから」の甲高い声に「どこのMさんだか分からないだろ」、多分不機嫌な顔で受話器を取ったでしょう。しかし、電話は「友遠方より来る」でした。
 「母の面倒をみるため、こちらに単身赴任」とM君。「そのうち伺う」と電話を切ったあと、この日の昼間の時間は自分のために使う気でいたことに気がつきました。折り返し電話をし、河口湖に向かいました。

「タカちゃん?」に絶句
 M君宅に着き、部屋に入るや私の顔を覗き込んだM君のお母さんの第一声は「タカちゃん?」でした。この呼び方は今や一部の同級生だけのものです。M君のお母さんと会うのはおそらく半世紀ぶりです。「ご無沙汰をしまして」と応じたものの、そのあとの言葉は出ませんでした。大正5年生まれの97歳と言われましたが、昔の印象そのままです。そのわけは間もなく分かりました。
 一人暮らしの御自宅で、ちょっとしたはずみで骨折し入院、リハビリ、退院という経過をたどったのは特別のことではありませんが、「元のように歩きたい」一心でリハビリに真剣に励んだそうです。その気概はとても私の知る高齢者のものではありません。
 まだ車イスの生活が基本になっているようですが、歩けないわけではなく、補助器具を使えば普通に移動できます。その姿にも前向きの生き方が強く感じられ、私もかくありたいと痛感しました。

M君が心底羨ましい
 「タカちゃんの選挙ではなにもお手伝いできないけど、新聞ですぐ開票結果を見るのよ」という有りがたい言葉を頂きました。生き方が前向きというだけでなく、思いの広さ深さはやはり親の世代ならではです。
 私は母を20年前に亡くしました。当時、突然の別れに大きなショックを受けましたが過ぎてしまえばあっという間でした。それが、M君のお母さんにお会いして母のことを思い出し、お母さんの介護をし「孝行をしたいときに親がいる」M君が羨ましく、妬ましくさえ感じました。こうなったら、これからも折に触れて親孝行のお裾分けを貰いに行こうと密かに思ったものでした。

辞書好き人間の喜び
 過日、新明解国語辞典(三省堂)第七版に間違いを見つけました。寸胴(ずんどう)=途中でくたびれたりすることなく上から下まで一様に太い…くびれるが正解ですね。
 三省堂に電話をし、辞書好きがほくそ笑んだ、多分「一生に一度」でした。

フキがうまい季節に
 フキノトウ味噌を楽しんだあと、裏の畑で細いフキが採れはじめ、今はフキの煮物です。食が細い私にとっては御馳走です。ほかにもエシャロット、ウド、サンショウなど野菜の種類が増えるこの頃です。