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12月議会報告E 二つの行政視察からA

被災地に3常任委員会合同でA

石巻市の大きな被害
 石巻市では亡くなった人は3251人、行方不明者470人、さらに関連死220人(2012年9月30日現在)と、自治体別で最大の人的被害を出しています。地域を覆った悲しみの大きさ、そこから立ち直ることの困難さは察して余りあります。
 しかし、私たちが視察した翌日、漫画家の石ノ森章太郎の石ノ森萬画館が再開するという明るい話題もありました。
 石巻の視察を終え、登米に向かいました。

南三陸町を受け入れ=登米市
 登米市では議会の教育民生委員会委員長のほか病院事業管理者、登米市民病院長など病院幹部が大勢で迎えてくれました。2年ぶりの対面です。それぞれの挨拶の後、病院長が被災時の病院の活動を報告されました。
 「発災2時間後には南三陸町で受傷した(びしょ濡れの)患者が徒歩で来院し、津波のため公立志津川病院が機能を停止したとの情報を得た」、停電で情報が途絶え、その時まで大津波のことを知らなかったそうです。
 3月11日は金曜日でした。その日の3時過ぎから土曜日、日曜日の患者はすべて災害患者です。11日55人、12日84人、13日138人と日を追って患者は増え、被災後1週で666人に達しました。集約表によると、災害被害患者8366人中、市外患者数4842人、うち南三陸町は3625人です。隣町との絆は強まったと思います。
 その上で院長は電気、水道、通信手段、燃料、食料、本来の仕事としての診療、災害医療への提言を示しています。
・情報収集・発信の体制の強化
・医療支援の受け入れ・派遣の円滑化
・災害弱者等への対応
・物資の供給体制の強化
 これらについて詳しく述べたあとで、院長は次のように結論付けています。
 「登米市の医療再編計画により、登米市立よねやま病院は4月1日から市立よねやま診療所になったが、南三陸町の中心地から約20q離れたこの空いた病棟を6月1日から公立志津川病院(一般病床27床、療養病床12床)が使用している。津波により被災した沿岸部の長期的な安全・安心な医療体制の再建、構築のためには、医師不足の地域であることも考慮し、医療圏を超えた新たな医療再編が必要になったと考えている。」
 この地域は郡内と同じ医師不足地域だったのです。
 写真はナンバーが付いたままの車と焼けただれた門脇小学校校舎。共に石巻市。


ナンバーがついたままの車


焼けただれた門脇小学校校舎