12月議会報告D 二つの行政視察から@
被災地に3常任委員会合同で
自治会を通じて「議会だより」第166号が届いたでしょうか。13ページをご覧ください。「3常任委員会合同行政視察研修」の報告が載っています。
今週からこの視察研修と東部広域連合議会の視察研修の報告です。
2年ぶりに「被災地」訪問
「議会だより」にあるように日程は11月14日から16日でしたが、実はその2年前、都留市議会は宮城県のこの地域を視察していました。そのときの視察目的は白石市のまちづくりと登米市の病院改革プランでした。被災4ヵ月前で、これについては翌年、震災後の3月20日発行の「手紙」bP072で写真を使いふれています。
「昨年11月、久しぶりに参加した議会の行政視察で泊ったのが南三陸町のホテルでした。左上の『雲』を撮った写真にはカキ養殖のイカダが、下の『カモメ』を撮った写真には中心街が写っています。人々の生活と美しい風景の復活を祈らずにはいられません。」
前回視察から2年たち、3常任委員長の相談で「津波被害を受けた地域の隣の内陸に位置する自治体(前回視察自治体)が被災者をどう受け入れたか」などをテーマに被災地視察を決めたものです。
山元町からの避難者受け入れ
今回初日に視察した角田市は私がボランティアで支援に行った山元町と小さな山並みを隔てた内陸に位置します。角田市自体は下水道や文教施設、農業施設など、50憶円近い公共施設の大きな被害を受け、全壊家屋も17件(市の資料)に及びましたが、人的被害は軽傷者4人だけです。ここに沿岸部の被害との決定的な違いがあります。
そして受け入れた避難者は隣町の山元町から132世帯344人で全体の世帯数で半分、人数で56%を占めました。これに福島県の南相馬市の77世帯(29%)232人(33%)が続きます。いうまでもなく原発からの避難者です。
まだ復旧過程にあるとはいえ、他県などからの支援に感謝しつつ着実に取り組んでいるようすがわかりました。
石巻市の2人の語り部
翌日、石巻市の視察は緊張しました。石巻港は今回の大震災の最大の被災地の一つだからです。社会福祉協議会内の(社)石巻復興支援協議会で、語り部の水産加工会社の社長さんから被災当日の津波の動画と被災前後の写真を見せてもらいながら復興に取り組むようすを聞きました。
会社再建の意欲が萎(な)えそうになったとき、ボランティアに両側から腕を抱えられ「牛丼を食べに行きましょう」と言われて自分がどんなにみじめに見えたことかと気が付き、意欲を奮い起こしたという話は胸に迫るものがありました。
元新聞記者という語り部の方の案内で石巻港を見ました。80pもの地盤沈下、ほとんどの家屋が流失したなかで取り壊されず残る民家、門脇小学校の焼けただれた校舎などが被害の大きさを物語っていました。