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「いつでも元気」8月号

放射能はすべてを壊す 長谷川健一

 今週は民医連の機関誌「いつでも元気」8月号の巻頭エッセイを拝借することにしました。さまざまな被災者がいますが、酪農家が原発を告発した文章です(中見出しは小林)。怒りを共有したいと思います。


 あの福島第一原発事故の後、すべてのものが壊れ、そして失われた。当時、飯舘村で酪農家のリーダーをしていた私は、自分の家族と酪農家の仲間たち、そして牛たちを守ろうと必死だった。

酪農廃業を決意したが
 計画的避難区域では家畜を飼うことができず、私は酪農家仲間を集め、廃業にしようと決意を固めあった。しかし「いつかまたここで酪農を再開しよう」と約束し、「廃業」ではなく「休止」にした。話し合いの末、牛たちを処分することが決まったときは、悔しくて、情けない思いでやり切れなかった。
 事故から1年以上経った今の村は、田畑は荒れ放題、家のまわりは雑草だらけで、生活の匂いがなくなった。まさに「死の村」になってしまったのだ。

故郷はどうなるか
 国は村全域を除染するといい、400メートル四方に6億円かけた「モデル事業」をおこなっている。そして、住環境を2年で整えると言っているが、私は「まず山を除染しなければ」と声をあげている。家の周りを除染しても雨が降ったり風が吹いたりすれば、村を囲む山々から放射能が流れこんでくるからだ。
 どれだけ除染をしても、もとのきれいな村には戻らないだろう。チェルノブイリでも数年かけて除染作業をおこなったが、結局効果が見られず除染をあきらめてしまい、住民たちは出て行ったままだ。
 しかし、そんな除染作業でも、私たちにとっては小さな希望だ。なぜなら飯舘村は、私たちの生まれ育った故郷だからだ。そんなにかんたんにあきらめることはできない。
 この先、私のような年齢の村人たちは村に帰るかもしれない。しかし、若い人たちや小さな子どもを持つ親たちは、移住するだろう。そうなれば村は限界集落になり、いずれ消滅してしまう。

国が守るという「国民生活」とは
 ふつうは困難なことが起こると、みんなで力を合わせてがんばろうと結束する。しかし、原発事故はまったく逆だ。夫婦や家族、仲間、部落、村、県、国でさえバラバラに引き裂かれてしまう。それが原発事故の恐ろしさだ。
 だが、私たちは乗り越えなければならない。野田首相は「国民生活を守るために大飯原発を再稼働する」と言った。しかし、福島県民の生活は守られたのか、また、守られているのだろうか。
 私は国民生活を守るためにこそ、2度と原発による放射能被害が起きないように、「日本から、そして世界から原発をなくさなければならないのだ」と言いたい。