2度目の被災地支援B
政府に見えていない復興の遅れ
先々週の写真の説明にまちがいがあり、原野状態の被災地は名取市閑上(ゆりあげ)地区でした。
都留市から中央道・圏央道・関越道・北関東道・東北道などを経由して、岩沼市の党仙南地区委員会に着いたのは午後4時頃でした。昼食時間を含めて約7時間、460キロほどの行程です。そこから柴田町のボランティアセンターに移動し、あらためて被災地を視察しました。その最初に行ったのが名取市閑上地区だったのです。
「…絶句です」
見渡す限り何もない被災地を見て、阪神淡路大震災にも駆けつけたというYさんは「比較にならない。言葉にならない」と感想を述べました。翌日の夕方見た桜田住宅でさらに大きな衝撃を受けることになるのですが…。
その帰り、今年1月に開設されたという名取市美田園(みたぞの)地区の仮設店舗で夕飯の食材を求めました。ここでは、がんばっている被災業者の意気込みを感じました。コの字型の集合店舗に30台ほどの駐車場、下段上の写真はその一部です。
被災者のトラウマ
翌日からの仕事は民家の敷地内の除草でした。仮設住宅で生活しながら被災した家を少しずつ片づけていたHさんが、持病がありボランティアの応援を要請されたのです。
到着して、空き地に車を駐車しました。するとHさんが「車の向きを変えてください」といいます。「津波が来たらすぐ逃げられるように」と。心の傷の深さを感じました。
現地は海岸線から1・8キロ、大人の背丈ほどの津波が押し寄せたそうです。Hさんは「海岸線近くの家が消滅し、波の音が聞こえるようになった。風が強くなった」と変化を語りました。
被災前と被災後の状況をグーグルの「未来へのキオク」のストリートビューで見ると、この地域で住み続けられる状態の家が残った人は幸運で、殆どが形は残っていても大きな打撃を受けています。
海水を被った植木は殆ど枯れていました。それを片づける人手がないということでしたが、Yさんはその道のプロです。植木の処分を一手に引き受けてくれました。
来年度中に水田復活というが
先日のニュースによると、政府は来年度中にすべての田圃の作付けをめざすそうですが、農業用水路が改修されていない状態では塩抜きができず、本当に田植えができるか疑問です。農・漁業の復活に、もともとその困難を作りだした政治がどう向き合うか、注目したいと思います。
作業の合間の談笑。左端がHさん