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日刊「赤旗」で分かったドイツの反原発

 ドイツのメルケル首相はこれまでのドイツの反原発の方針を変え、原発容認(稼働延長)を公約に掲げて政権に着いたが、福島原発の事故で原発全廃に舵(かじ)を切ったと報道されました。
 一部メディアは「フランスなど周辺国から電力を買いながら、自分の国だけ脱原発はご都合主義」と批判しました。事実はどうか、解明してくれたのは日刊「赤旗」でした。
 8月22・23日にこの問題を連載しました。日刊「赤旗」は現在16ページ建てで一般紙の6割程度のページ数ですが、広告が少なく、記事の量ではそう引けを取りません。それでもページが多ければ、この記事はもっと大きく取り上げてほしい企画です。

22年全廃を決めた前政権
 2000年、シュレーダー政権は電力会社と合意し、原発の「22年全廃」を決めました。同政権は社会民主党と緑の党の連立でした。
 緑の党は、長年の原発反対運動を経て1980年に結成され、「全廃」方針に踏み込んだ契機はチェルノブイリ事故後の世論の高まりでした。ベルリン社会学術センターのディーター・ルフト教授は「いまの日本に似ていた」といいます。日本が原発依存から抜け出すのは今を置いてないということでしょう。
 この記事にはルフト教授だけでなくデザーテック財団のティーモ・グロップ事務局長、ドイツ左翼党議員・平和活動家のマンフレート・ゾーン氏、ハンス・ヨーゼフ・フェル議員などが登場します。これは現地での「赤旗」記者の独自取材だからです。ちなみに取材は(ハンメルブルグ=児玉純一 写真も)とあります。

再生可能エネルギーこそ
 23日付で緑の党のハンス・ヨーゼフ・フェル連邦議会議員(エネルギー広報担当)の言葉を紹介しています。
 ―原発を続けたい人たちは再生可能エネルギーについて、「コストが高い、普及が遅い、輸入電力に頼ることになる」などと言ってきました。例えば1995年に彼らは、再生可能エネルギーが「発電量の4%以上にはならない」と予測していました。しかし、実際は2000年に6%となりました。
 社会民主党と緑の党の連立政権が10年までに12%にするという目標を立てると、彼らは「非現実的」と言いました。しかし現実はその年に17%となりました。
 こうしたもとで、かつて同じだった電力の輸出量と輸入量が、年間総量で輸出が大きく上回るようになっています。―

震災も原発も日刊「赤旗」でこそ
 震災後、日刊「赤旗」を読むのに時間がかかります。21日から25日まで連載された「たちあがる医療」、同じく24日からの「データで見る東日本大震災」、被災地でのソニーの大量解雇など雇用問題、肉牛飼育農家の苦悩、原発の影響の継続的報道など、大震災からの「復興は現場の声で」という立場を頑固に守り書き続けている記事を見逃すのが心配だからです。伝わってくるのは被災者、避難者、被災地の本当の声です。