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「安全神話」の片棒かついだ全国紙

 7月20日の、志位委員長の外国特派員協会での講演(日刊「赤旗」7月22日付)のなかの「マスコミ取り込み」の部分を「赤旗」日曜版読者のために再掲します。(見出し小林)

事故当日、東電接待の中国旅行
 ―原発事故が起こった当日、東電の勝俣会長は、マスコミ幹部を引き連れて中国旅行をしていました。記者会見で彼はこう問われました。「旅行の費用は東電持ちだったのか」。彼は、こう答えました。「マスコミ幹部への旅費は一部東電が出した」。要するにこの旅行は、マスコミへの「接待旅行」だったのです。記者会見でこうした重要なやり取りが交わされながら、大手メディアでこの事実を伝えたものは一つもありませんでした。

広告料収入欲しさに
 1970年代、電力業界は、巨額の広告料を払って、大手メディアを次々に買収していきました。まず大型広告が表れたのは朝日新聞です。次に読売新聞が続きました。残された毎日新聞は、原発に反対する記事を抑えることを約束して、広告料を手にしました。こうして大手紙は総なめにされ、広告料のひもがつけられ、「安全神話」の媒体となったのです。「安全神話」をふりまく共犯者としての役割をはたした一部大手メディアに、私は、猛省を求めるものです。

責任を強く自覚して
 「原発利益共同体」の一員として、国民の安全を無視して利益をむさぼってきた勢力の責任は重大です。わが党は、これらの勢力にたいして、次のことを求めます。まずその責任を深く反省することです。そして原子力災害による被害の責任と負担を負うことです。

質疑でさらにリアルに
 質問 「朝日」が電力業界の買収の最初のターゲットになったと聞きました。私たちは「朝日」はリベラルで、「読売」は保守的で財界に近い新聞と認識していましたが。
 志位 大型広告が「朝日」から始まったのは、(電力業界側が)「朝日」がそのような新聞だと一般に見られていたことを考慮してのことだと思います。しかし、そこからはじまったことは事実なのです。「読売」がそれにつづいたのは、「読売」の社長だった正力松太郎氏が、原発を日本に導入した責任者(初代原子力委員長)だったという関係があったようです。「朝日」「読売」に定期的に広告が掲載されるようになると、「毎日」も広告を出してくれと要請します。当時、「毎日」は、原発に反対するキャンペーン記事を紙面に載せていました。そこを突かれて、「毎日」は電力会社側からこういわれます。「反対が天下のためになると思うのなら反対に徹すればいいではないか。広告なんてケチなことは、どうでもいいではないか」。そう言われて「毎日」は、原発の記事は慎重に扱うと約束し、原発の危険性を伝える企画も取りやめとなりました。
 こうして日本の大手新聞を総なめにしたというのが経過です。―

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 相手も報道のプロ、案の定、最初の質問がこの問題でした。彼らは「赤旗」を読まなければ日本の政治は分からないという印象を強めたのではないでしょうか。