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復興支援ボランティア(2)

体力勝負の泥出し作業

育苗ハウスに固まった泥
 翌朝は7時から食事でした。ゆっくり支度して亘理(わたり)町の町議宅に行き、そこから被災された農家へ向かいました。  稲の育苗ハウスからの泥の運び出しは重労働でした。岐阜からの5人は今朝早く引き上げて、残る愛知、静岡の2人と山梨の4人の計6人かと思っていたら大阪枚方市の民商会員の3人が合流し9人になりました。  一輪車に、壊れた瓦状態になった泥をスコップですくい搬出しました。二棟のハウスからの泥出し作業は、花田仁党山梨県常任委員が「昨日よりは楽だった」というとおり午前中で終了しました。昨日はイチゴハウスで、倍以上の広さがあったといいます。  昼飯は今朝、ボランティアの人たち自身が握ったおむすびです。農家の奥さんがお茶を入れてくれて、午後の作業は裏の物置用のハウスの片づけと泥出しでした。トロロ芋の穴に溜まった汚泥や腐った芋とのたたかいで、予想以上の難作業になりました。短時間で終わるという見込みは大いに外れて、予定どおり3時になりました。スコップと靴の泥を落とし、無事作業終了となりました。  4時頃宿舎に戻り、高齢(!?)の私は一番風呂をいただき、足腰に筋肉痛の薬を思い切り塗りました。疲れて、みな早寝でした。

駅前で支援物資を配る
 3日目は昼前に仙台塩釜港を視察し、午後からは開通していない常磐線の浜吉田駅前で支援物資を配りました。宣伝カーが近所へお知らせにまわっている間にブルーシートを敷き、支援物資のコメ、野菜、ラジオ、タオル、下着などを順に並べました。コメは地元支部の人達が3キロずつ70袋に小分けしてありました。  支援物資は40分ほどでなくなりました。終わってから駆けつけた年配の女性は「宣伝カーが何か言っているのを聞いて急いで来たけど遅かったのね」と残念そうでした。かぎられた数ですから早い者勝ちにならざるを得ません。「JAが閉まっていて何も買えないので」という奥さんもいて、食糧支援の切実さを実感しました。

開通しない常磐線とリニア
 被災地の鉄道はいまだ開通していません。常磐線は原発のために復旧作業ができないのです。その一方でJR東海はリニアの駅設置場所を発表しました。日本中で使う電力の1%も消費するというリニア、節電が求められているこの時期に発表したのは原発反対世論への挑戦でしょうか。

ビニールハウス泥だし作業の写真

支援物資を配る写真