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復興支援ボランティア(1)

進まない復興を目の当たりにする

 先週お知らせしたように5月25日から27日まで宮城県の復興支援ボランティアに参加しました。
 帰ってから「赤旗」紙代の集金の遅れた言い訳半分に「宮城に行ってきました」というと「テレビの映像どころではないらしいですね」などと対話になり、ますます集金は遅れました。その中でAさんは「言ってくれれば一緒に行きたかった」と残念がりました。
 3月11日以来、誰もが被災地に思いを馳せ、復興のためにできることがあればやりたいと思っているのではないでしょうか。

宮城県仙南地区委員会へ
 25日午前8時、読者のみなさんから寄せられた支援物資(コメ、レタス、玉ネギ、ジャガイモ、インスタントラーメン、タオル、洗剤、下着など)を車に積み込み、岩沼市をめざしました。同行は運転手のS君。行き先は党仙南地区委員会です。
 高速道路は市から交付された「災害派遣等従事車両証明書」を渡し無料で通過です。首都高速永福料金所では証明書を受け取らず、ナンバーを確認しただけで「はい、どうぞ」と通してくれました。途中、東北道のサービスエリアで昼食をとり、午後3時に仙南地区委員会に着きました。岩沼市は宮城県でも南の方ですがそれでも7時間かかり、やはり「東北は遠い」と思いました。

仙台空港周辺の惨状
 地区委員会では地区委員長と副委員長から被災地のようすを聞き、副委員長が車に同乗し岩沼市と名取市にまたがる仙台空港周辺を案内してくれました。
 この地域をネットの地図で見ると、よく整備された田んぼと住宅地が美しいのですが、その面影はまったくなく悲惨な「原野」状態です。テレビで見た風景、電柱が折れ松の木が根こそぎにされ、自動車が田んぼにさかさまに突き刺さった姿などはそのままで、小型飛行機も放置されていました。あちこちに水たまりがあり、水が引いた後、乾いて塩で白くなっているところもありました。
 震災から2カ月半、とりあえず空港は飛行場の離発着の機能と客扱いは回復しているようですが、周辺部は整備されていないし民有地は手がつけられていません。空港から常磐自動車道の西側を南下したところに瓦礫を集めた場所がありましたが、とにかく集めただけといった状態でした。電力会社が電柱を建て架線を張っていました。
 こうして支援初日は3時までという作業時間には間に合わず、被災地の視察に終わりました。

流された航空機の写真

折れた電柱の写真