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逐鹿(ちくろく)を終えて思う

 逐鹿という言葉を教わったのは、二期目の落選の時ではなかったかと思います。年配の支持者から励ましのハガキをいただき、その中で使われていました。地区委員会事務所で働いていた同僚が調べて「ちくろく」という読みを探し当てました。
 ちくろく【逐鹿】=A政権や地位を得るために、互いに競争すること。特に、議員選挙などに候補者となって票を争うこと(広辞苑)。

「一番まともな議員」と
 その逐鹿が終わって「赤旗」の集金。読者のみなさんとあいさつを交わす機会です。
 中に市の元幹部職員もいて、その一人が言いました。「多くの候補者が来たが、うちは一番まともな議員ということで全員が義孝議員に投票した」と。
 「頼まれたから支持するのではない」という誇りの一言に感激しました。こういう人たちの票の積み重ねの当選、仇やおろそかにできないとあらためて自戒しました。そのうえで、頭は東日本大震災に向かいます。

被災地を見るべき
 被災地を視察した人から話を聴きました。開口一番「現地を見るべきだ」、「テレビの映像だけでは被災の深刻さはわからない。瓦礫がそのままという状態は絶望的」と強調しました。もう一つは「震災前と後の比較を」でした。そしてインターネットで見られる写真を示しました。
 この比較写真で分かったことがあります。南三陸町の役場と防災対策庁舎を混同した報道があると思っていましたが、それもそのはず、上の写真が元の状態で、役場の敷地の中に防災対策庁舎が建っているのです。被災後、残っているのは防災対策庁舎の骨組みだけだったのです。そして左上の写真は1072号で使った私の写真で、その下はネットにあった同じ場所を上空から撮った写真です。悲惨な被災状況がよく分かります。この大災害からの立ち直りを保障しきるかどうか、いま問われている政治の役割です。
 陸前高田市の市議をはじめ、多くの党員が避難誘導のなかで命を落としているといいます。支援を強めなければと思います。

防災対策庁舎被災前後

被災前写真

被災後上空からの写真