市議選投票日を前に
いま問われる政治の役割(2)
長い引用ですが、4月12日付毎日新聞「余録」(一面コラム)の引用です。初めと終わりの部分を紹介します。
17世紀のロンドン大火は4日間にわたり全市街の9割近くを焼き尽くした。建築家レンによるその復興計画は木造建築を禁止しただけでない。広い街路と下水道網を整備し、危険で不潔だった大火前のロンドンを近代都市に一変させた▲「すべての歴史家はレンの名を筆にするが、彼の計画を妨害しようとした偏執小心の国会議員の名を忘れ去った」。こう書いたのは米歴史家のビアードで、関東大震災後に壮大な東京復興計画を打ち出した後藤新平への励ましの書簡の中でのことだ。彼はつづけていう▲「貴下が計画を実行すれば、日本国民は先見と不撓(ふとう)の勇気ゆえに貴下を記憶するだろう。公園に遊ぶ幼児すらも貴下を祝福し、千年後の歴史家も貴下を祝福するだろう」。だが、後藤の計画は議会の反対で大幅に縮小された(略)
▲復興プランは地元住民や団体からも提起されよう。「千年後」とはいわない。この痛苦の被災体験から子や孫に末永く祝福されるビジョンを生み出せるのか。私たちの時代の先見と勇気が問われる。
以下は同じ日の毎日新聞「みんなの広場」に載った投書の一部です。
「原発報道 メディアも自問を」 日本語学校非常勤講師辻本義輝63(堺市東区)
(略)福島原発は津波による危険が指摘されていただけに、想定を超える天災と片付けることができるでしょうか。各メディアもかつては問題意識を持って原発の危険性を報道していましたが、昨今は原発が二酸化炭素をほとんど排出しないこともあり、あまり取り上げなくなったように思います。(略)
メディアは、ひとたび暴走すると人知が及ばない原発の本質をきちんと取材・報道してきたか、自問すべきではないでしょうか。ジャーナリズムも問われているのです。
恰好つけにしか見えない「余録」
「余録」にメディアを代表してもらいました。辻本氏と同じ問いかけをしたいからです。「余録」は格調高く「これから」を論じていますが、その前に「これまで」について死にたくなるほどの反省が必要ではないか、それを棚上げして「いいカッコするな」です。
ドイツの元大統領バイツゼッカー氏は「過去に目をつぶる者は現在に盲目である」という有名な言葉を残しました。日本のメディアは過去において原発にどういう態度をとってきたでしょうか。いま注目されている日本共産党の指摘は系統的であり科学に裏打ちされていました。それをすべて黙殺してきたのが自・公政権であり、メディアでした。先週の別面「かつら川」をぜひ熟読玩味(がんみ)して下さい。
いま「余録」がいう復興計画の財源が問われています。こんどこそ日本共産党の提言に真摯に向き合う「先見と勇気」を持ってもらいたい。「悪政は、時に最悪の犯罪以上に犯罪的である」という現実を教訓として…。