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市議選告示を目前に

いま問われる政治の役割

 選挙の自粛が話題になっています。どう考えればよいのでしょうか。都留市議会で「自粛を」と提案したのは公明党でした。

選挙延期に反対しながら
 共産党は全国レベルでの選挙の半年延期を提案しました。しかし民主、自民、公明の反対で実現しませんでした。  延期に反対した公明党の「自粛」提案は全国的なもののようです。もともとこの党の選挙は創価学会員あての「このたびは推薦をいただきありがとうございます」から始まっていますから街頭からの訴えはさほど意味がありません。「自粛」提案はこのさい他候補も黙らせようという狙いがありそうです。同調しないと分かっている共産党を孤立させる狙いもあるかもしれません。
 公明党の提案に乗った都留市議会は、私を除く全員で「自粛」を申し合わせました。候補者カーを出す、出さないでかなりもめたようですが、出す候補者の運行は9時から夕方6時までと一致したようです。
 4月2日付山日新聞の「風林火山」(一面コラム)が書いています。「燃料不足に配慮し、選挙カーを連ねた名前の連呼を控えるのは結構だが、『静かな選挙戦』を取り違えて、くれぐれも遊説をおろそかにすることのないように」と。
 もともと私は名前だけの連呼などしません。掲げた政策を全力で訴えます。

何を自粛するのか
 都留市議会は公開が進み、かつて放送局のテレビも入れなかった時代がウソのようにいまでは本会議のようすがCATVで放映されています。しかし、まだ委員会までは放映されていません。ところが本当は委員会の方が議員の実態が分かるのです。
 テレビが入る本会議では質問に立つが、委員会ではまったく質問しない議員がいます。また本会議でよく質問に立つ議員が、委員会では「知らないから聞く」質問をしたりします。議員の質問は政策実現が目的で、学校や他の会議などと違い「知らないことは質問しない」というのが常識です。こういうこともわきまえない議員の「自粛」、パフォーマンスと感じるのは私だけでしょうか。そしてこの選挙、そんなことでいいのでしょうか。

深刻さ一倍の透析患者など
 被災地のようすがテレビで放映され、生活の深刻さが伝わってきます。もっとも深刻なのは病人や高齢者、障害者など社会的弱者です。テレビは透析患者か亡くなった、避難所で高齢者が亡くなったという現実を伝えます。悲しい、恐怖の現実です。
 多くの被災者がギリギリのところに追い込まれています。政治はこの人たちにただちに当面の生活を保障し、次の段階、被災者が生業に戻り安定した生活が送れるようになるまで見届けなければなりません。同時に、災害がなくても厳しい生活を送っている人たちが大勢います。共産党は常にその人たちのことを念頭に置いて活動しています。
 国難ともいうべきいま、政治はどうあるべきか、問われるなかでの選挙です。