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3月11日 東北地方太平洋沖地震

「想定外という言葉も…」超えた

 横揺れの強さ長さから遠くで大きな地震が起こったと直感しました。しかし、被害の大きさは想像を絶するものでした。
 庁舎3階の鉄骨の上で一夜を過ごし九死に一生を得たという南三陸町の佐藤仁町長は「想定外という言葉も使えないぐらいすごい波だった」と述べました。
 宮古市の旧田老町は海面から10b余、総延長2433bの「万里の長城」と呼ばれる防潮堤が世界的にも有名なのだそうですが、津波はそれも一気に超えてしまいました。人知を超えたとしか言いようがありません。
 マグニチュード9・0で破壊された町々、いまは一人でも多くの人の命が助かってほしいと願うばかりです。

事態をより深刻にした原発
 許せないのは原発です。安全神話崩壊、こちらは自然災害だけではありません。電力の原発優先策が自然エネルギーの開発、活用策を遅らせたのではないでしょうか。多くの反対を押し切って推進し、その反対の理由の正しさを証明してしまったのです。
 日本の一部に住めない地域をつくりだしかねない事態を認識し、正確な情報を公開してしっかりした対策をとるべきです。被害を小さく見せるような報道は許されません。

暗く寒く情報が少ない不安
 都留市でも地震の起きた午後2時46分から翌朝まで停電になりました。テレビが映りません。防災ラジオに耳を傾けましたがなかなか被災地の実態は分かりませんでした。コタツが使えず風呂に入れない不便、暗いローソク生活とあわせて情報の少ない不安は避難所の方々の万分の1でしょうが共有しました。翌日、映像で見た被災地の状況はとても現実のこととは思えませんでした。

市の消防から援助隊
 12日、消防署から8人の援助隊が宮城県岩沼市に向かいました。その後、支援地は気仙沼市に変わり、現地交替方式で第二陣、17日に第三陣が出発しました。第一陣は175人を救出したそうです。
 医療資材、食糧などの不足も伝えられています。すべての公的機関、民間団体の力を結集して対応することが求められています。

偶然ですが南三陸町
 昨年11月、久しぶりに参加した議会の行政視察で泊ったのが南三陸町のホテルでした。左上の「雲」を撮った写真にはカキ養殖のイカダが、下の「カモメ」を撮った写真には中心街が写っています。人々の生活と美しい風景の復活を祈らずにはいられません。

雲の写真

カモメ写真