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お寺の開基である行円上人は、出家する前は、山中で狩りをして暮らしていました。ある日、射止めた雌鹿が胎内に仔鹿を宿していたのを見て殺生の罪深さを感じ仏門に入る決心をしました。
そして鹿の皮で法衣を作り、裏に先手陀羅尼経を書いてこれをいつも身につけ、経文をとなえながら市内を歩き、人にも読経を勧めました。
上人は出家以前から観音を信仰していましたが信仰が深めるにつれ、先手観音像を刻みたいという思いがつのり、夢の中で賀茂社の境内にふさわしい霊木があるというお告げを受けました。
早速これをもらい受け、高さ2m半の先手観音像を作り上げました。現在本堂に安置してあるご本尊がこの観音様です。
このお寺も創建当時は、一条小川通りに有りましたが、京都の洛中にあるため度々の火災によって大きな被害を受け、その都度場所が変わって、現在の位置に落ち着いたのは天正年間と言われています。
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