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天暦5年(951)京都市中に悪疫が蔓延して、朝廷も手のほどこしようが有りませんでした。
村上天皇は、空也上人に勅命をさずけますと、上人は悪疫退散の祈願をこめて、十一面観音を刻み車に乗せてひき歩きました。
青竹を八葉の蓮弁のように刻み、お茶を煎じて小梅干と結び昆布を入れ、観音様にお供えた後、病人にこれを与え病魔を鎮められました。
この時の尊像を祀って開かれた西光寺をのちに上人の没後弟子の中信が伽藍を整備、地名と仏教の言葉六波羅蜜から現寺号としました。
本堂北東には平景清が愛した五条坂の遊女阿古屋の墓という石造宝塔や平清盛の供養塔などが有ります。 |