1990年3月1日〜3日
ドレスデンをはなれてワイマールにやってきました。
あくまでドイツ語風の発音に忠実に表記すればヴァイマールとなるのでしょうが、やはり”ワイマール”の方が日本語では一般的ですね。
ワイマールといえばゲーテ、シラー、そしてクラナッハの町。ワイマール共和国と憲法。というような教科書的な話はほかのサイトでどなたかがしっかりと紹介しておられるはずですからそちらを見ていただくとしましょう。ちなみにバッハは1708年から1717年、23歳から32歳までの若き日々をここの宮廷に雇われて暮らしています。
ワイマールの現在の人口は6万人あまり。決して大きい町ではありません。たしか路面電車も走っていなかったような。それでも過去の遺産が大きければ、あちこちから観光客も来るというものです。
しかし、光あるところ陰あり。ワイマールにはこんな華やかな歴史スポットばかりではありません。ナチの作った強制収容所が近郊に残されています。その名はブーヒェンヴァルト(Buchenwald)。
ワイマールの駅前からバスに乗って30分ほどで着きます。標高がやや高く、見晴らしのよい、きれいな土地です。 |
下界にはもう残っていない雪がうっすらとかぶっています。それだけ標高が高くて寒いのです。
右側に見えるのは監視塔でしょうか。 |
かつての収容棟はポツリポツリとしか残っていません。 |
大部分は建物の基礎が残っているだけです。 |
収容所犠牲者の墓標。 |
これも墓標。3つの異なる言語で記されていますが、一番下のはロシア語でしょうか。 |
ガス室はなかったなどという歴史修正主義者たちの言説の是非について、ここで論じる意図も力量も私にはありません。しかし、全くそうされるにふさわしくない大勢の人々を、暴力を持って否応なくここに集め、彼ら彼女らの自由を奪った行為そのものの存在までは否定しきれないでしょう。そして、その舞台がいささかでも普通の土地より陰惨ならともかく、このように美しいところであることに、私は言葉を失います。 |
ワイマールの公式ガイドは大勢の方が書いていらっしゃるし、まじめに調べて書き始めるともう大変なのでやめ。第一、そんな写真全然撮ってないですしね。
スーパーマーケットの出入り口でひたすら主人の用が済むのを待つ犬たち。こちらがいくら水を向けても全く関心なし。すばらしくよいしつけが入っています。さすがイヌと子供のしつけはドイツ人にさせろと言われるだけのことはあるわ。 |
駅構内の食堂で食べた定食。味はそんなに悪くないんですが、スープの入っている容器がプラスチック製で、まるで洗面器。Mitropaという名の店で、どうもチェーン店(といっても国営でしょうが)らしいです。給仕のおばさんが異様に無愛想(というより敵意むき出し。私が有色人種だから?)だったのが印象的でした。 |
ワイマール市役所。中央広場に面して建っていまして、一見古そうですが1841年創建ですと。それでも日本で言えば江戸時代末。 |
クラナッハの家(Lucas-Cranach-Haus)ですが、死ぬ前の1年間を過ごしただけだそうです。
せっかくの古い建物なのに、外観は塗り直して新しくしてしまうんですね。日本的な考えだと古いものには古色を残してそれらしい雰囲気を楽しみたいと思いますが、あちらの方は容赦なくピカピカに修復してしまいます。どうも違和感がぬぐえないな。 |
おまけ。ドイツ国民劇場(Deutsches Nationaltheater)前に立つゲーテとシラーの像。お尻から撮った写真はあんまり見かけないので、ここでもパチリと。 |