1990年2月21日〜22日
深夜の到着 | 出口の両脇に短機関銃を構えた警察官(?)が一人ずつ立っていまして・・・ |
初めての宿 | とりあえず宿を探しました。もちろん予約など取っていないので・・・ |
町中を歩く | 元ネタはミケランジェロかなんかでしょうか。そこに極彩色のポップな落書きが・・・ |
えんえん夕方みたいな状態が続く機内で悶々とがまん(なにしろ映画の上映も何もないんだから)し、ようやくフランクフルトに着いたのが現地時間の夜9時30分ころ。ああこれでやっと地面が踏めると思ったら、機内アナウンスで「ちょいと待て。機を降りるときパスポートを見せてもらうから用意せよ(と英語とドイツ語で言われたらしい)」というんで、さすがに尋常ならざる状態だということは私にもわかりました。
ようやく許されてタラップへ出るとき、出口の両脇に短機関銃を構えた警察官(?)が一人ずつ立っていまして、機関銃などみるのも初めてでしたのでさすがにびびりました。機内には黒人の一団が最後まで残されていたようで、彼らがお尋ね者だったのでしょうか。
一方、空港での入国審査はあきれるほど簡単。なにしろアクリルのフェンス越しにパスポートの表紙を見せるだけ。成田空港に入る方がよっぽど警戒厳重でした。
とりあえず宿を探しました。もちろん予約など取っていないので、まずは空港を離れ電車でフランクフルト中央駅まではたどり着きましたが、その先へ動こうと思ってももう深夜11時過ぎのことでSバーン(路面電車)も動いていません。しょうがないのでそう悪くなさそうな駅前の宿に転がり込みました。
これは翌朝撮った写真です。ホテルの名前は「ヴィースバーデン」といいます。朝食付き・シャワーとトイレは共同で1泊60ドイツマルク(当時のレートで5400円くらい)。帰国後、ドイツ留学経験のある私の恩師にお話ししたら「そりゃ高いな」と言われました。 宿ではとりあえず(シャワーブースで)シャワーだけ浴びて寝てしまいました。翌日は疲れているにもかかわらず6時ころ目覚め、8時ころホテルの食堂で朝食。堅い丸パン2個、シリアルを枝状に固めたもの2本、クラッカー1枚、コーヒーが献立のすべて。 しかし付け合わせのバター・ジャム類の種類の多さは特筆もの。ジャム3種類、ピーナツバター1種類、バター6種類、クリーム3種類。こんなに使い切れないので、持って帰って昼飯の時にでもなめることとしました。 ミルクがほしかったので食堂スタッフの女性に「ミルヒMilchをください」といっても通じません。身振り手振りで何とかわかってもらいましたが、「それをいうならミルチュでしょ」といわれてしまいました。辞書で発音記号をみるかぎり前者の方が正しいように思うのですが、どうも習ったことと実地とは違うようです。 ちなみに、どうも私は時差ボケしない体質のようで、このあとずっと寝たり起きたりのリズムに問題はありませんでしたし、日本に帰ったらすぐに日本の時間帯で生活ができました。 |
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蛇足ですが、上のホテルの宿泊代領収書です。 後々回る東ドイツのものと比べると、紙質が全然違います。色も真っ白です。もっとも今となっては、東ドイツのザラ紙の方が環境にやさしいとか何とかいわれるんでしょうけれど。 |
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夜まで暇なので、市内観光することに。まずは、フランクフルト歴史博物館へ。 入り口付近で、インド人風の少女に「お金をください」(と英語で書いてある)紙を見せられました。つまり物乞いですかね。誰かお金をやる人はいるんでしょうか。私が見た範囲では誰もいませんでした。 |
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中にはフランクフルトの先史時代から現代までの歴史資料が展示されています。これは第2次大戦時、連合軍の爆撃によって徹底的に破壊された市街地のジオラマ。ほとんど教会の尖塔しか残っていません。 | で、これが現在。立派に復興してヨーロッパの一大金融センターとなっております。 |
私のドイツ語能力不足で今ひとつよくわからなかったのですが、これが未来のフランクフルトらしいです。歴史的建造物と近代的建造物が近接しています。どうも木に竹を接いだようというか、かといって日本の都会にあるようなキッチュさも感じられず、なんとなくパッとしないように思います。 | キッチュといえばこちらの方がよほどキッチュではないかと。伝統的な家並みから突然屹立するテカテカの高層ビル。写真ではわかりにくいのですが、このビルが韓国系企業の所有物というあたりがまたなんとも。 |
マイン川に架かる橋の下。人が住んでいる形跡もありますが、ここになかなか結構な落書きが。元ネタはミケランジェロかなんかでしょうか。そこに極彩色のポップな落書きが重ねられています。 | 落書きその2。「クランクフルト−銀行屋の町」といったところでしょうか。「クランクkrank=病気の」とフランクフルトをかけているわけです。 めざましい復興を遂げたフランクフルトですが、博物館で見たように徹底的破壊から再建したためか、歴史的・伝統的なものよりもどちらかというと近代的・功利的な価値観を体現した町となってしまった側面は否定できないようです。事実、東京から行くとあまり違和感がないのがフランクフルトです。 こんなところを皮肉ったのがこの落書きなのでしょう。 |
あちこち散策していると、フランクフルト大学の構内に出てしまいました。別にとがめる人もいないので、学部の建物の中を見て歩いて、撮ってきた写真がこれ。考古学研究室の入り口ですね。 | いよいよこの町ともお別れです。東側に入ればもう食うこともあるまいと、デパートのレストラン(といってもセルフ式の安いところですが)で食事をしました。 ドイツの食堂では、どこでもいやというほど芋のフライが出ます。味はちょうどマ*ド**ドのポテトみたいな感じ。さすが18世紀以来の芋食い民族だけのことはあります。 |