(3)
赤と青の絨毯が、青空の中をふわりと舞った。その上で、フレイは筆をとっていた。
すっかり毛が無くなってしまったイシャムの顔に、墨で眉毛を書き込むのだが、風で手元が狂ってしまう。
その度にイシャムの顔は奇妙な表情になってしまい、アガサを大いに笑わせていた。
「笑うなって、ねーさん! こっちはマジ、真剣なんだぜ! おっと、イシャム。顔歪ませんなよ! また失敗しちまう」
イシャムは、自分の状況が読めておらず、アガサが笑うたびに情けない顔になっていく。
そこにフレイはひらりと舞い上がり、気合いを入れて、やー! とばかりに筆を走らせるのだ。
「ち、ちょっと、右眉が細いんじゃない?」
アガサのアドバイスで右を太くすると、今度は左が細くなる。左を太くすると、今度は右が物足りない。
「形が微妙にちがうような気がします」
アリのアドバイスに従って、形を整えようとすると、ますます眉が太くなる。
「お、おい。我が輩の顔はどうなっているねん?」
ついに、アガサもアリも無言になってしまった。
「間違いなく、以前よりも精悍になっていかしているぜ!」
フレイだけが、自信満々で胸を張って答えた。
とにかく、眉は以前より三倍は太く濃いところで確定した。
今度はヒゲだった。
「ねえねえ、私もやってみたい!」
アガサは、フレイから筆を奪った。
「だめだって、ねーさん! こういう事は、絵心あるヤツがやるべき事なの! ねーさんの出番はないってば!」
「まー! 失礼ね! 絵心なくてもヒゲぐらい書けるわよ!」
「我が輩の顔はキャンバスかの?」
そのような状態で、絨毯の上は盛り上がり、学生牢の点呼の時間を気にしていたのは、ただ一人、冷静なアリだけだったと思われる。
絨毯を急がせながらも、笑いの渦は尽きる事がなかった。
散々もめたイシャムのヒゲも、右がアガサ、左がフレイ担当で話がまとまり、何度も書き直した末に、やっと形が定まった。
フレイの書いた左側は、太い眉の精悍さにあわせたかっちりしたものだった。
太めの生え際と直線的に伸びる先端、そして直角に跳ね上がり頬に達してシャープに消える様は、いかにも品の良さと誇りの高さを示している良作である。
そして、アガサの担当した右は、やや丸みを帯びた流線型であり、先端がくるりと一回転して元気よく飛跳ねている。
実は、この一回転の形がなかなかうまく書けず、何度も書き直した。非常に苦労したところであり、そのかいあって、まさにアガサの快心作であった。
「かっこいい! イシャム」
「イシャム様、本当に素敵です」
自画自賛のアガサと美的感覚に問題のあるアリに褒められて、イシャムはすっかりその気になった。
「そ、そうかのう?」
ヒゲを撫でようとして、空振りしつつつ、イシャムは満足げである。
フレイが小声で言った。
「アガタ、本当にあれで決まりかよ?」
「あら? 私の計算高い作品に文句でもある?」
「計算? どこが?」
「ほら、あれはね、イシャムがヒゲを撫ですぎて、ヒゲがくるんとカールされた、っていう設定なの。すごく計算高いでしょ?」
アガサは満足そうにうなずいた。
その横で、フレイはがっくりうなだれた。
そんな盛り上がった状態で、アガサたちは学生牢に戻って来たのだ。
だが、アガサを待っていたのは、点呼当番ではない。
涙を流しながらも呆然としているイミコと、難しい顔をしたまま愕然としているジャン‐ルイであった。
「あれ? 二人ともどうしたの? こんなところで」
笑いすぎで涙目のまま、笑顔でアガサは訪ねた。
「どうしたって、あの、こんなところって、あの……」
赤い顔のまま、涙をボロボロこぼしながら、イミコは気が動転していた。
ジャン‐ルイのほうは、厳しい顔をしたまま、言葉もでない様子である。
「え? どうしちゃったの? 二人とも? もしかして? 私の事、心配してくれた? あははは……大丈夫よ、この通り!」
絨毯の上で、アガサはガッツポーズをとり、元気をアピールした。
イシャムが、面変わりした顔のまま、ジャン‐ルイに声をかけた。
「おう、ジャンジャン! 久しぶりであるな。おたくの嬢ちゃんだがの、バルバル国王アリがよ、とても気に入ってな」
ジャン‐ルイの顔が、初めてぴくりと動いた。
「イシャム? イシャムなのか?」
「他の誰だって言うねん?」
……とは言われても……。
ジャン‐ルイの知らない精悍な顔がそこにあった。
今度はアリが口を開いた。
「火のソーサリエ生徒総監であらせますジャン‐ルイ・ド・ヴァンセンヌさんですね? 噂はかねがねお聞きしております。わたしは、バルバル国王アリ・サファド・バルバル」
胸に手を当て、深々とお辞儀するのは、二人が初対面だからなのだろう。
「ご機嫌・よう」
「よう・ご機嫌」
その挨拶を聞いて、アガサはますます興奮した。
「ねえねえ、フレイ。今の聞いた? ジャンジャンも同じ挨拶したよ、ねえ、ねえ」
「うるせーな、ねーさん。それどころじゃないって」
「ま、何よ! うるさいですってぇ!」
さて、今までの流れからいって。
こういう場合のフレイの言葉は、間違いなく従うべきだということを、たいていの人ならば気がつくところである。たいていの人ならば。
だが、アガサの場合、変人であるので、たいていの人と同じに考えてはいけない。
彼女が事態を把握するには、もう少し『痛い目』を見て、フレイに「だから、おいら、言っただろ!』と言われないとだめなのである。
その事態までは、まだ時間が少々時間がかかりそうな気配であった。