(4)
フレイと小声でやり合っている中、ジャン‐ルイとアリの会話は進んでいた。「実は、かくかくしかじか、ありまして、アガタ姫を助けるに至りました。そして、色々事情をお聞きして、火の魔法の試験にも力を貸したいと思った次第……」
「それは……どうも」
いつもよりもジャン‐ルイの態度が硬いのにイミコは気がつき、はらはらしていた。しかし、アガサのほうといえば、相変わらずフレイと小競り合いを続けている。
「アガタ姫は、将来、バルバルへ嫁いでいただく方、私の妃となる身です。当然、私としても姫のために全力をつくし……ごほっつ!」
アリの言葉は途中で途切れた。アガサの強烈パンチが背中に当たったからである。
「い! いやだああ! アリったら! その話は、まだ返事をしていないでしょ? だって、私、まだ十二歳だし、とてもすぐに決断できないし!」
ごほごほと咳き込みながら、頬を染めてアリは反論した。
「でも、考えてみるとおっしゃったではありませんか? それにバルバルでは十歳から結婚できるのですよ?」
「ここはバルバルじゃないもの!」
そう。
アガサはいきなりアリからプロポーズされてしまったのだ。
一瞬、アガサの脳裏に、あまりに豪華な王宮で侍女にハタハタ扇であおがれ、クッションに埋もれて過ごす絢爛豪華な日々が浮かばなかったわけではない。
そこでは、色とりどりのマカロンどころか、栗たっぷりのモンブランもチョコレートに生クリームのトルテも、アガサの望みのままだろう。
だが、まだ十二歳のアガサには、出会ってすぐの結婚なんて思い浮かばなかった。
あまりにも突飛すぎたので、即答で答えた。
「まあ、そのうち考えてみる」
アリは、この言葉を前向きな返事として受け取ったようだった。
このやり取りは、どうやらますますジャン‐ルイを不機嫌にしたらしい。
当然と言えば当然である。アガサを心配して夜も眠れなかった身としては……。
「アガタは、この地下牢にずっといたわけではなく、あなたの所にいたのですね?」
「ええ、もちろん泊まっていただきましたよ」
ますます表情が硬くなっているジャン‐ルイなのに、アガサは興奮が覚めやらず、余計な事をぺらぺらしゃべりまくった。
「そうそう! あのね、アリの部屋ってすごいのよ! 絢爛豪華ってああいうことを言うのよね、壁も床も豪華な織物で包まれている感じでね、クッションがいっぱいでね、そしてたくさんの神様の銅像があってね、それでね、なんと部屋の中に噴水があってね、素敵な香りが満ちていてね」
「もうやめろよ、ねーさん」
あきれた声でフレイが言った。
「あら? だってフレイ、あんなすごい部屋、私、見たの初めてで。私の部屋も広いと思ったけれど、あの部屋は……」
ジャン‐ルイは、アガサの話を無視してアリに複雑な微笑みを向けた。
「我が火のソーサリエの生徒を手厚くもてなしていただき、ありがとうございます」
「我が喜び故に」
胸に手を当て、アリも微笑み返す。
精霊フレイの目には、一瞬、ジャン‐ルイの視線が炎となってアリを襲ったように見えた。だが、その炎は、クールなアリの微笑みのもと、風に吹かれて散って行った。
「まじぃーぞ、こりゃ」
フレイの言葉に、アガサはとんちんかんな答えをした。
「何が交じったの?」
「どうやら、僕の苦労は徒労だったようだね。アガタには、たくさんの救い主がいる。だから、これも不要かも知れないが……とりあえず」
ジャン‐ルイは、ポケットから小さな手紙を取り出し、アガサに渡した。
「え? 何?」
「昨夜、マダムとやりとりして、やっともらった『許可書』だよ。地下牢の危険性を説いて、三日間のうちの二日間は自室謹慎でよいという……」
それは、かなり苦労して得たものだった。
自室から出られないジャン‐ルイは、結局イミコとイミコの精霊カエンを何度も学長室を往復させ、この手紙を勝ち取った。
最後、マダムは泡風呂の中で、イミコの精霊カエンに向かって、
「ベッドの中までついてこないでね」
と言って、根負けしたのだ。
「でも、君が豪華絢爛な部屋で過ごしたいなら、この手紙は捨てても構わない。僕はこれで失礼するよ」
そう言うと、ジャン‐ルイは、アリとイシャムに「よろしく」と言って、さっと身を翻した。
「え? あの? ジャンジャン?」
アガサが慌てて背中に声を掛けたが、彼は無視した。
イミコが動揺してアガサの顔を見、ジャン‐ルイの顔を見、アガサの顔を見、ジャン‐ルイの背中を見、そして、アガサのほうを見た。
「あの……アガタ。ごめんね。でも、あの、一言……言わせてね」
イミコは何度かもじもじして覚悟が決まったらしく、目をつぶり、大きな声で叫んだ。
「バカ!」
そう言うと、イミコはばたばたとジャン‐ルイの後を追って走り去ってしまった。
後は、何が何だかまだ把握しきれないアガサと、ライバルらしき存在を退散させて気持ち良さそうなアリと、ヒゲを撫でながら傍観していたイシャムと、それぞれの精霊が残っただけである。
「え? 何で私が、バカなの?」
ショックで呆然としているアガサに、フレイは決まり文句を言った。
「だから、おいら言っただろ? ねーさん、おいらの忠告をいつも無視するだろ? だから、バカバカバカだーって、言うんだよ!」
「バカが多すぎよ!」
そう反撃しつつも、先ほどまでの楽しい気分はどこかに吹っ飛んでしまったアガサであった。