東の山(3)
四日目、細工師はやっと岩屋にたどり着きました。
暦の上では満月が近いせいでしょうか? 岩屋の中はしんとしていて、魔女の邪悪な気配は感じられませんでした。
それでも細工師は銀の剣を抜き、構えながらゆっくりと岩屋の奥へと進みました。
岩屋は薄暗くて不気味でしたが、満月の魔女のところとほぼ同じつくりです。違いといえば左右が反対なことくらいでしたので、細工師は迷わず奥に入ることができました。
進んでも魔物のひとつも出ず、音もなく、細工師はかえって不安になるほどでした。
やがて山の頂上部にあたる最後の部屋まで達してしまいました。
そこに姫と魔女がいるはずです。細工師は勇気を振り絞り、剣を握りなおして扉を開けました。
天井の尖った小さな部屋でした。
正面に岩をくりぬいた窓があり、灰色の空が広がっています。かすかに翼竜のしゃがれた鳴き声が聞こえました。
そして、窓辺に人影がひとつ。
闇色のマントは新月の魔女のものでしたが、かすかな蝋燭の光に照らし出された髪は金でした。
細工師は胸が詰まりそうになりました。
「姫……」
振り返ったその姿は、紛れもない鈴鳴り姫でした。サファイヤの瞳を震わせて彼女は細工師を見つめました。
「あぁ……お待ちしておりました」
姫はそう叫ぶと、細工師の胸の中に飛び込みました。
銀の剣が床に落ち、しばらくカタカタと音を響かせる中、二人は固く抱き合って、唇を重ね合わせました。
細工師は今までの苦労をすべて忘れました。
いえ、それよりも、いとも簡単に姫を見つけ出せた幸せに感謝したくらいでした。
「さあ、早くここから出ましょう。新月の魔女が戻ってこないうちに」
夢にまで見た姫の美しい頬に触れ、伝わる涙を拭きながら、細工師は言いました。
しかし、姫は悲しそうに首を振りました。
「いえ、それは無理なのです。私には呪いが掛かっていますので」
「でも、ほら。ここに失われた銀の鈴が」
盗んだとはさすがに言えませんでしたが、細工師は恐る恐る胸の奥から鈴を出しました。
それを見たとたん、姫は恐怖に顔を引きつらせて細工師の手を振り払いました。
「だめ! だめです。今の私は新月の魔女の手先なのです。すでに闇に染まった私には、銀は命を削ってしまいます!」
意味がわからず、細工師は困惑したまま、呆然と立ち尽くしてしまいました。
「早くそれをしまってください!」
眉をひそめて姫は叫びました。
闇に囚われた姫は、新月の夜、魔女とともに悪さを働きに国中を飛び回ります。 そして満月が迫る頃、少しだけ自分を取り戻し、恐ろしい所業に涙する毎日なのでした。
姫の優しい心が後悔に染まる日々を思って、細工師は胸を詰まらせました。
「どうすればあなたを助けることができるのですか!」
それもこれも、原因は自分の罪にあるかと思うと、心が張り裂けそうでした。
「魔女の呪いを解くためには、魔女を殺さなければなりません。お願いです。憎い新月の魔女を殺してください」
姫の口から「殺す」という言葉が出たとき、細工師は悲しくなりました。
花も手折れないような優しい心をもった姫の口から、そのような言葉を聞きたくはありませんでした。しかし、それは呪いのせいなのです。
「あなたを救い出すためならば。姫」
細工師は剣を拾いました。自分にはふさわしくはない立派な剣でしたが、それに似合う自分になろうと決めました。
しかし、姫は冷たい言葉で言いました。
「その剣では、魔女は殺せません」
闇に囚われた顔を伏せて、姫は言葉を続けました。
「魔女を倒すには魔力が必要なのです。お願いです。北と南の秘所へ出向き、その剣で聖獣を殺して! そして宝玉を奪ってきてください」
姫の言葉に、さすがの細工師も身を引きました。
なぜなら、聖獣と戦って生きている者はありません。そして、聖獣が守っている宝玉はこの世界を破壊するほどの力を秘めていると言われているからです。
姫は細工師に詰め寄りました。
「あれは、魔女の力そのものです。新月の魔女の力を奪い、満月の魔女の力を解放するのです。そうすれば新月の魔女を滅ぼすことができるのです」
面を上げた姫の目には大粒の涙が光っていました。
「お願い……。私を助けて」
あまりに悲痛な姫の声に、細工師は再び姫を抱きしめました。
華奢な体を包む邪悪な闇のマント。そして胸元には細工師が贈った月の石はありませんでした。
あまりに似合わない姫の有り様に、細工師の胸は痛み続けました。
この愛しい人を救うためならば、何事も恐れはしない。
細工師は心を決めました。
「あなたを救い出すために、私は力を手に入れましょう」