ふたりのしあわせ 2
2003年6月20日 掲載

草村 悠太
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ふたりのしあわせ

 キッチンで、蜂蜜色の大きなお鍋が火にかけられていた。中にはなみなみと水が張られている。パスタをゆでるためのお鍋だ。
 その隣には、まだ火の点いていないガスコンロの上に、やっぱり水を張った片手鍋が置いてある。こっちは温野菜用。軽くゆでておいてから、スープに浸してレンジでチンするのがいいのだとか。
 宏人ってば、なんでそんなこと、知ってるんだろう。
 あたしはダイニングのテーブルに肘をつき、まな板の前で立ち働く彼の背中を眺めた。普段はどこか抜けてるっぽくて、「きびきび」とか「てきぱき」とかいう表現とは無縁なのに、こういうときだけは何だか頼もしく見える。
 …単にあたしが、料理ってものがまったくできないからかも知れないけど。
 だいたい、あたしが宏人と一緒に暮らすことにしたのだって、自分自身のあまりにも低い生活力に、「こりゃマズイ」と思ったからだ。
 「大学生になったら、花の一人暮らしだ」と勢い込んでみたはいいものの、掃除ぐらいならともかく、洗濯、裁縫、料理がまったくできない自分に気付いてしまった。意外なくせ者は、洗濯。「全自動」のくせに、洗濯機に入れてはいけないものがあるし、入れるにしても別々に洗ったり、ネットを使わなくてはいけなかったりと、なかなか奥が深かい。
 極めているヒマはなかった。だからって、一人暮らしを諦めるのはなおイヤだった。それまでだって門限があったわけじゃないし、自由にさせてもらっていたけど、やっぱり一人暮らしとは違う。本当の一人暮らしがしてみたい。でも、それをすると冗談ではなく「体に悪そう」だ。ちゃんとしたものが食べられなければ、肌やおなかの調子にだって響いてくるに違いない…
 というわけで、編み出した妥協案が、宏人と一緒に住むってことだった。
 元から、宏人のことはまんざら知らないでもなかった。親戚のお葬式や結婚式がある度に見かけていたし、年始の挨拶回りでも顔を合わせていた。
 その印象を表現するなら、「女装させると似合いそうな、細い系の男の子」ってとこ。少なくともあたしよりは家事が出来るってことも、法事の仕出しを手伝ったりする姿を見て知っていた。
 そんな宏人が、奇しくもあたしと同じ大学に入る…もう神さまが「使っとけ!」って言ってるとしか思えなかった。
 なるようになれって勢いで、話を持ちかけた。宏人の方も乗り気になってくれた。
 で、今こうして二人の新居に無事入ることが出来たってわけ。
 でもねぇー…いざこうなってみると、家事がなんにもできないのって、
「宏人―、退屈だよー…」
 あたしは彼の方に顔を向けたまま、テーブルの上にずるずると突っ伏してしまった。
 「こっちが働いてるってのに、なんてお気楽なッ!」って目つきでこっちをガッと振り返ってから、
「…とりあえず、できることやっておいてよ」
とのこと。
「例えば?」
「……」
 自分で考えるのが億劫で、何気なく問い返しただけなのに、ジャガイモの皮をむいていた手を休め、宏人は天井を向いて考え込んだ。
 …あたしってば、そんなに使えない?
「テーブルクロスを丁寧に敷いて、その上にキャンドルグラスを丁寧に置いて、その中に適当なキャンドルを丁寧に立てて、マッチかライターを用意してくれたら、あとは寝てていいよ」
 あらま。小学生並のお仕事。
「…シャンパングラスぐらい、出せるよ」
「割らないでね」
 それはちょっとひどくない? 確かに私は家事音痴だけど、運動音痴ってわけじゃないのよ。
 何か投げてやろうかと思ったけど、さすがに包丁を扱っているときはやめておいた。
 間違ってケガでもされたら、明日からあたしのご飯が…ねぇ?

「それじゃ、お互いの健康でも祈って、乾杯しましょ」
 二十分後。あたしと宏人はダイニングのテーブルに向かい合って座っていた。
 マーブル模様のグラスの中でほのかに揺れるキャンドルに、宏人の手料理がやわらかく照らし出されていた。
 おいしそう。あたしじゃこうはいかない。
 背の高いシャンパングラスを顔の前に持ち上げたあたしに、宏人は一つため息をついてから、追随してきた。
 何か気に入らなかったのかしら。
「「乾杯」」
 二人の声が重なって、触れあわせたグラスが「キン」と澄んだ音を立てる。口を付けると、舌先でシャンパンの気泡が鋭く弾けた。
「さ、冷めちゃわないうちにいただきましょ」
「作ったのは僕だよ」
 フォークを手にしたあたしに、宏人がそんなことを言ってくる。
「? 知ってるわよ?」
 答えると、彼はちょっと肩をすくめた。
 宏人は、時々こうだ。何となく意味深なと言うか、思わせぶりなことを口にしてくる。それ以外のところでの自己主張なんて、ほとんどしないくせに。
 あたしには、そういうときの宏人の気持ちがもう一つ分からなくて、何だか落ち着かなくなる。
 最初の印象では、そんなに複雑怪奇な男の子じゃなかったんだけど。
 最初の――――そう、駅で待ち合わせたときとかの。
 第一印象は、「うわ、こんなに童顔だったっけ?」で、第二印象は、「ホントに同い年?」だった。
 外見もそうなんだけど、声とか仕草とかそういったものも含めて、宏人に当てはまるいろんな表現は、普通なら高校生以下の男の子にしか許されないようなものばっかり。
 ほとんどこの時に、あたしの気持ちは決まったようなもの。それまでは、やっぱり少しためらいもあったし心配もあったんだけど、宏人を一目見て、そんなものはどこかに飛んでいった。
 宏人は、いかにも一緒にいて安心そうな男の子だった。あたしが風邪で倒れたら、お粥を作ってくれそうだった。酔いつぶれて家に戻れなくなったら、駅まで迎えに来てくれそうだった。寝坊して授業にでれなくても、代返しておいてくれそうだった。総じて、私服より制服の方が違和感のないタイプ。
 本当に、理想的。
 その後の一月ぐらいで、じつはそれほど理想的ではなかったということが判明したんだけど、それでも充分合格点だ。
 宏人は、押しが弱くて、優柔不断で、料理が上手で、アイロンかけが出来て、お風呂が長くて、下ネタに弱くて、口げんかにも弱くて、朝に強くて、彼女がいなくて、言いつけられたことはどうしてもやらずに放っておけなくて、「男のくせに」がつく批判は、ほとんど全て当てはまる男の子。
 何より、これがいちばん大事なんだけど、同じ部屋で寝たって安心だった。試したことはないけど、一度だけ冗談で手をつないだら、すごくあせってたから。
 実に微笑ましくって、よろしい。
 それにね…
「うん、おいしいわ。さすが宏人ね」
「そりゃどうも」
…そうやってクールぶってるときが、本当はいちばんうれしいのを隠してるんだってことぐらい、お見通しなのよ。


 ささやかなパーティーのあと。
 あたしはまたテーブルの上に突っ伏しながら、洗い物をする宏人の背中を眺めていた。
 部屋の電気は消したまま。テーブルの上のキャンドルが、残り三分の一ぐらいになって、オレンジ色の炎を揺らめかせていた。
 キッチンの天井からシンクの辺りを照らし出す、スポットライトみたいな白熱灯だけが、宏人の姿を浮き上がらせる。何だか、舞台劇のワンシーンを見ているよう。
 さすがのあたしも洗い物ぐらいできるから、手伝っても良かったんだけど――――それよりもこのまま宏人の後ろ姿を眺めていたくて、そうしなかった。
 文句を言うでもなく、使った食器を丁寧に洗っていく、宏人。かちゃかちゃという陶器の音や水の音が、何だか眠気を誘う。
「…ねー、宏人…」
 あたしはテーブルクロスに頬をのっけたまま、口を開いた。
 「んー?」と、宏人は背を向けたままで相づちを返してくる。
「食器洗浄機、買うのやめようね…」
「…そんなものを導入するプランがあったなんて初耳なんだけど、なんでさ」
 肩越しに顔だけこっちに向けて、宏人。
「なんでって…」
 あたしは、彼の方から視線を逸らし、目の前のキャンドルグラスをつついた。けっこう、熱い。
「…なんとなく」
 宏人が大げさにため息をつくのが聞こえた。
「ついでに、何となく料理がしたくなったりとか、何となく洗濯がしたくなったりとか、してくれないかな」
 その言葉に、「ふぬー」と鼻から息を抜く、あたし。
 ああもうあんたって、ホントに、ホントーに――――
 それから、ごろりと顔を転がすようにして、また宏人の方へと目を向ける。
 彼がたじろぐぐらいの目つきを叩きつけてから、あたしはイスを立った。
「やっぱり宏人、だまーって家事してるときが、いちばん素敵ね!」
 ホントにもう。ムードのないヤツ!


o(^-^o)  Our Happiness !!  (o^-^)o


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