ふたりのしあわせ 3
2003年6月20日 掲載

草村 悠太
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ふたりのしあわ

 足音荒くダイニングを出ていくはるなを、僕は半ば以上ぽかんとして見送った。
 彼女はそのまま自分の部屋に入り、バタンとドアを閉めてしまう。
 流しっぱなしの水の音だけが、僕と一緒に取り残された。
…僕になにか落ち度があったか?
 自問してみる。
…思い当たらない。
 本当はパンか何かで軽く済ませて、そのまま寝てしまうつもりだったのだ。今日は。彼女はサボったからいいかも知れないが、僕の方は引っ越しでヘトヘトなんだから。
 それでも、はるなの意見を受け容れて、ささやかだけど料理を作った。彼女も「おいしい」と言っていた。準備も片づけも、ほとんど僕一人でやった。
 なのに――――なぜ急に怒りだす?
 訳が分からなかった。が、一つだけはっきりしていることがある。
 彼女の機嫌を直さない限り、明日からずっと針のむしろだ。
 ため息をついた。本当に、心の底からため息をついた。
 こういう生活が、あと四年間続くわけだ。どこかで胃に穴が空いて、リタイアしない限り。
 僕は最後の皿をゆすいでから、水を止め、タオルで手を拭って、はるなの部屋の前に立った。
 ノックしようとして、手が止まった。
 中から、まるで何かを引き裂いてるような不吉な音が響いている。
 まさかかんしゃくを起こして、服を破り捨てているとか…?
 と、目の当たりにしたくない光景を想像して躊躇する僕の前で、前触れなしにドアが開けられた。その向こうに立っているのは、当然はるな。
 僕と目が合うと、彼女は険悪な口調で、一言。
「のぞき?」
「違うよっ!」
 思わず声が大きくなった。
 彼女は「ふぅん」と鼻を鳴らすと、
「あたし、お風呂はいる。
 もっかいのぞいたら、目、つぶすからね」
一方的に言い捨てて、僕の横をすり抜け、ダイニングのわきにあるバスルームへと歩き始めた。
「何だよ、『もっかい』って! 僕がいつのぞきなんてした!?」
「今!」
「あれはのぞいたんじゃないって!」
「立ち聞きでも一緒よ!」
 「立ち聞きでもないっ!」て、言えば良かったんだろうけど、その気がなくても中からの物音に立ち止まって、聞き耳を立ててしまったのは事実だ。
 根が素直な僕は、そこで言い返すのをためらってしまった。
「図星ね。やらしい。寝てる間に、耳に針突っ込んでやる」
 バスルームの前で、さも汚らわしそうに表情をゆがめる、はるな。
「死んじゃうだろ、そんなことしたら!」
 本当にやりかねないと思ってかなりおびえた僕に、
「べ。宏人のことなんか知らないもんね」
思い切り舌を出して、はるなはバスルームに消えた。
 立ちつくす僕の耳に、ドアの奥の折り戸を開け閉てする音が届き、次いでシャワーの水音が響き始める。
 むらむらと腹が立ってきた。
――――なんだなんだ、なんだって言うんだ! 僕だってもう、はるなのことなんか知るもんか!
 彼女が開けっ放していった部屋のドアに、手を伸ばす。
 ガムテープのクズと段ボール箱が目に入った。さっきの音は、乱暴にテープをはがした音だったのか。
「こっちこそ知るもんか! 女の子なら女の子らしく、もっとおしとやかに開けろ!」
 かさぶたをはがされた傷のような口を開けている段ボール箱に毒づきながら、僕は乱暴にドアを閉めた。


 時計の針は、十時を回っていた。自分の部屋のベッドの上で本を読んでいたけれど、引っ越しの疲れからか、それ以外の疲れからか、だいぶ眠気が募ってきた。
 明日も少し早めに起きて、朝ご飯を用意しないといけない。
 何にしようかなぁ…トーストと、ベーコンエッグと、コーンポタージュかなんかで…
 うつらうつらする意識の中で、そんなことを考えていたとき。
 軽いノックの音に続いて、はるながひょっこり顔を出した。
「宏人」
「…あのさ」
 僕はベッドに寝転がったまま、ぼやく。
「ノックって、中から返事があってから開けてくれなきゃ、意味がないんだけど」
「どうでもいいのよそんなこと」
 よかないだろう。
「それより、あたし、もう寝るんだけど、一つだけ言っておくことがあるわ」
 ドアの隙間から突き出されている顔が、きゅっと険しくなる。
「…何?」
 無意識に少し居住まいを正しながら、問い返す僕。
 彼女は真顔で言い放った。
「いい?
 絶対あたしをオカズにしないこと。
 ちょんぎるからね」
 その言葉を置きみやげに、ドアがぱたんと閉められる。
 「おやすみ」と、向こう側からはるなの声がして、すぐに彼女の部屋のドアが閉められる音が聞こえた。
 僕は固まったままで、ベッドの上に取り残された。

 本当に。あぁ、本当に、僕のピンク色の夢は、どうしようもないくらいどうしようもない現実の中で、コナゴナになっていった。


 翌朝。
「…おはよー…」
 ものすごくテンションの低いガラガラ声と共に、はるながダイニングに入ってきた。
 髪は寝乱れてくしゃくしゃ、青地に黒猫と黄色いお星様のだぶだぶパジャマ、見るだに眠たげにこする瞼は、油断すればすぐに閉じてしまいそう。入り口の辺りでぼんやり立っている身体も、ゆっくり左右に揺れていた。
 タオルケットとかを引きずっていれば、十歳は幼く見えただろう。
 特にパジャマだ。花も恥じらう乙女が選ぶデザインじゃないと思うぞ、それは。
「…眠みゅ…」
 あくび混じりに呟く。まだ半分以上夢の中だ。
 何となく納得がいかなくて、僕は時計を見た。午前十時半。
「よく眠れた?」
「…分かんない」
 はるなはもたもたと首を横に振った。
「ご飯、食べる?」
「……ん」
 今度は少し間があったあとで、こくりとはっきりうなずく。
 僕は読んでいた雑誌をテーブルに置いて、イスを立った。
 呼んでも呼んでも起きてこないので、僕は先に朝食を済ませていた。はるなの分のベーコンエッグは、レンジの中で出番を待っている。
 トースターにパンを二枚セットして、ガスコンロにポットをかける。
「5分ぐらいかかるから、先に顔とか洗ってきたら?」
 未だにぼけっと突っ立っているはるなに、僕は顔だけ向けてそう言った。
「…いい。待ってる」
「取ったりしないよ」
 僕は苦笑した。
「とりあえず、しゃっきりして朝の手順を思い出してきたら?」
 喉の奥で「むぅ〜」とうなりながら、はるなはのそのそ動き始めた。
 真っ直ぐ洗面台に向かうのかと思いきや、僕の方へと歩いてくる。そして、何事かとちょっと警戒する僕に、力の抜けた身体をもたれさせてきた。
「は、はるな!?」
 彼女の着ているのは、生地の厚い冬物パジャマ。僕はシャツにスラックス。
 それでも、はるなの身体のやわらかさが、充分すぎるくらいに感じ取れる。
 うわぁ、思いもよらない展開――――ではないことは、僕だって昨日今日彼女に出会ったわけじゃないんだから、すぐに分かった。
 はるなは、朝食のメニューを確認しているのだ。もたれかかってるのは、自力で立つのが面倒だからというに過ぎない。僕の代わりにケンタッキーおじさんが立っていたって、同じことをしただろう。
 その証拠に、彼女は僕の肩越しに、レンジの中をのぞき、ガス台のわきに出されたインスタントコーヒーの瓶を見やり、トースターにパンが二枚刺さっているのを確かめると、
「…ん…」
満足げにうなずいて、今度こそ本当に洗面所へと歩き始めた。
 最後まで、そこに立っていた僕に目を向けることなく。
 でも、いいんだ。
 そういう扱いには慣れてるからさ。


o(^-^o)  Our Happiness !!  (o^-^)o


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