ふたりのしあわせ 1
2003年6月20日 掲載

草村 悠太
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ふたりのしあわせ

「ぅおーう! キレーなマンションじゃなーい!」
 ぴかぴかの新居を眺めて、はるなは品のない感嘆の声を上げた。
 東京都内の、新築マンション。駅徒歩15分。2DK、3/5階、東南角部屋。専有面積48.7平米。バルコニーあり。エントランスにはオートロック。各部屋にカメラつきインターフォン。地下には専用駐車場。ここにはないけど、最上階の部屋にはサンルームまでついている。エレベーターは、ご丁寧に二基。お家賃の方は、どーんとおまけして月々254,000。ちなみに管理費の方は、月額10,000承っております――――
 これが、僕たちの新居だった。
 と言っても、別に僕たちは新婚でもなんでもない。恋人でもない。姉弟でも、やっぱりない。比較的、友達でもないだろう。
 はるなは子供のようにぱたぱた走り回りながら、部屋中を物色していた。
「宏人―、来てみなさいよ。このベランダだったら、洗濯物とか、二秒で乾きそう」
 乾くか。
 バルコニーに続く大きなガラス戸を開け放つはるなに、僕はじっとりとした視線を注いでやった。
「それに、ホラ。あっちに見えてるの、あたしたちの大学じゃない?」
 方角が違う。
「ね、見て見て。このサッシ、折り戸になってるの。お洒落ねー」
 そういうものがみすぼらしくならないように保つには、どれだけの手入れが必要だか分かってる?
「それに、広いねぇ。このダイニング。フローリングもピカピカだわ」
 ここを掃除する人間の苦労に、はるなが気付くことは、きっとないんだよね。
「キッチンも使いやすそうじゃない。腕のふるいがいがありそう」
 本当にふるってくれる人のセリフだったら、どんなにか心強いだろう。
「冷蔵庫、ちょっと大きかったかな? 二人だけなのにね」
 料理と買い物、ちゃんと分担できるなら、大きかったろうに。
「バスとトイレ、きちんと別々なのね。安心したわ。
 どっちかがシャワー浴びてるときには…ねぇ。同時には、使えないもんね」
 よく言うよ。「あたしがトイレ使うから、今すぐお風呂から出ろ!」って平気で言いかねないくせに。
「あはは、見て。あたしの部屋の電気、カワイイの」
 自分で付けさせたんだろ。
「ねー、宏人」
 ひょこりと、はるなが自分の部屋から顔を出した。
 今度は何だよ。
 ぶすっとした表情を返す僕。
 はるなは呼吸一つ分の間、そんな僕を見つめていてから、
「ああ、もうっ! 気になるなぁッ!」
 いきなりずんずんと、大股でこっちへ詰め寄ってきた。
「何なのよ、さっきから!
 むっす〜っとして黙りこくっちゃってさ。
 言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ」
 鼻先に、ビシッとはるなの人差し指が突きつけられた。
 ほとんど身長差がない――正直に言えば一センチも違わない――ので、その迫力に僕は一瞬たじろぐ。
 が、でも、今度こそ引き下がったりはしないぞ。
 僕だって、これでも男なんだからな!
「それ、本気で訊いてるの?
 引っ越しはお昼の十時からだって言っただろ!
 いま何時だよ。 五時間も遅刻なんてさ!
 おかげで、僕一人で荷ほどきしなきゃいけなかったんだぞ! 少しはこっちの迷惑も考えてくれよな!」
――――っ! 言った、言ったぞ! 言ってしまったぞぉ〜!
 突きつけられた人差し指の向こうで、はるなの口元が少しずつつり上がっていく。
 …笑ってる…?
「そう。それで…」
 何だか思わせぶりに、彼女が唇を開いた。
 謝ってくれるのか、と、勘違いしたのも一瞬のこと。
「おナマ言うのは、この口かなぁッ!」
 目の前にあった人差し指が閃いて、僕のほっぺたをぐいっとつねった。
「痛たたたたたたた!」
 釣り針にかかった魚のように、はるなの指先に翻弄される僕。
 そんなに力は入れてない――たぶん。きっと。そう願いたい――はずだけど、女の子の細い指でつねられるのは、なまじ鍛えた太い指で思い切りつねられるよりも、痛い。
 十秒ばかり、頬をひねられていただろうか。
 始めたときと同様、はるなは不意に指先から力を抜いて、僕を解放した。
 そして、熱を持ったようにヒリヒリする頬を抑え、思わず涙目になる僕に、ぽりぽり軽く頭をかきながら、けろりとした顔で告げる。
「ま、あれね。
 五時間も遅刻したのは、さすがに悪かったわ」
 だったらつねるなよッ!
「三時間ぐらいにしておけばよかった」
――――…おけばよかった?
「…あのさ、もしかしてさ…」
 いま、はっきりと懸念が疑念に変わったぞ。
 「ん?」と、はるなが視線を向けてくる。
 その瞳には、その先が分かっていて、なお僕がどういう態度に出るかを楽しんでいる、獲物を見据える猫のような輝き。
 僕は唾を飲み下した。
「…えーっ、と。荷物の中にさ、はるなの家具の配置図が、入ってたんだよね。手書きの…」
 いざ部屋を前にして悩まなくていいようにと描いたんだと思っていた。彼女にしてはなんて計画的な、とまで思ったのに…
「あら!」
 わざとらしい。はるなは「パン」と手を打って、大仰に目を見開いた。
「見つけてくれたのね。どおりで理想の配置になってるはずだわ。
 うーん、これぞ天の配剤ね。日頃の行いのせいかしら」
「…そりゃ、僕の机の天板に貼ってあればね…」
 セロテープで、ぴっちりと。自分の荷物に入れたんじゃ紛れちゃうからだろうと思った僕は、なんて良心的だったんだろうね。そこだけでも、褒めてくれるかい?
「あら」
 はるなはまた一つ、手を打った。
「なんでそんなところに」
「…さあね。天の配剤じゃないの?」
「日頃の行いのせいってわけね」
 とびきりの笑顔でそう言うはるなに、僕はただため息だけをついた。
「さ、ほら、もう引っ越しも掃除も終わっちゃったんでしょ?
 今夜食べるものとか、買ってこようよ」
 言いながら、彼女は僕の腕を軽く引く。
 僕はちょっと面食らった。
「パン食とかじゃ、ダメなの?」
「引越祝いだもん。二人でパーティー」
 はるなはもう一度極上スマイルを浮かべたが、何から何まで、準備するのは僕じゃないか。
「…ノリが悪いわね」
 はるなの声が、一オクターブ低くなった。もとより、僕の中から彼女に逆らう気概は失せている。
「腫れてない?」
 さっきつねられた頬をさすりながら、僕。はるなが顔を近づけてきた。
「…ちょっとね。気にするほどじゃないわ」
「ヤだなぁ。初買い物で、顔が腫れてるなんて」
 再度、ため息をもらす。
「もう、しょうがないわね」
 はるなはそう言って、黄金の人差し指をすっとかざした。
 そして、それを軽く自分の唇に押しあててから、そのほっそりした指先で僕の赤くなった頬に触れてくれる。
 「…ハイ。痛みの消える、おまじない…」――――なんて、彼女がしてくれるはずもなく。
「バランス取れるように、もう片方もやったげよか?」
 現実の彼女は、あっけらかんとした口調で、反対側の頬をつまんできた。

 僕の名前は、佐伯宏人。この春から、大学生になる。
 それから、さっきの彼女の名前が、川村はるな。やっぱり、この春から大学生になる。
 僕らは従姉弟どうしだった。僕の母さんの姉さんが、はるなのお母さん。いろいろと人生の調節があったらしく、僕とはるなは同い年だった。日付にまでこだわれば、はるなの方が二ヵ月ぐらい早い。二人とも夏生まれだ。
 それまで全くと言っていいくらい交流のなかった僕らが、一つ屋根の下で暮らすことになったのは、大学入学がきっかけだった。
 こともあろうに、僕たちは全く同じ大学に入ってしまったのだ。学部まで一緒だった。僕は法学部法学科。はるなは法学部国際比較法学科。
 …学科の名前の迫力でも、僕ははるなに負けている。
 ともあれ、僕たちが入学を果たした大学が同じであるということは、あっという間にお互いの知るところとなった。何たって、親同士が姉妹なのだ。
 僕は「珍しいこともあるんだな」ぐらいにしか考えていなかったが、はるなは違ったらしい。二人が同じ大学に入ると知ったとき、その小悪魔な頭脳に、ピピッと来てしまったのである。
 かくして、はるなはいきなり僕のところに訪ねてきた。本当にいきなりだった。
 何せ、試験休みの日中に、僕の家に電話をかけてきて、「いま、宏人君のトコの駅前にいるの。迎えに来て」とのたまったのである。
 こっちの都合など、一切お構いなしだ。仕方ないから、駅まで彼女を拾いに行った。
 最後に彼女と会ったのが、母方の祖父の三回忌の時だったから、半年以上顔を合わせていなかったことになるのだろうか。だいたい、慶弔で会ったって、別に親しく話をするわけじゃない。下手をすれば、ペコリと会釈をしてそれっきりだ。だから、正直言って、僕は駅の中で彼女を見つけだせる自信すらなかったのだが――――そんなものはみんな杞憂だった。なぜって、時期も時間も中途半端で待ち合わせ場所に人気が少なかったということもあるが、そうでなくったって彼女は十二分に目立ったのだ。
 半年ぶりに会った彼女は、とんでもなく可愛くなっていたのである。
 いや、きっと、前々から可愛かったのだろう。ちゃんと見なかったから気付かなかっただけだ。
 洗顔フォームのCMモデルになれそうなくらいにすっきりと整った、どこか大人しそうな面立ち。ほっそりした肩にかかる、やわらかそうな髪。
 その時の彼女の装いを、今でも覚えている。ペパーミントグリーンのワンピースの上に、オフホワイトのちょっと大きめなブルゾンだ。ともすればちぐはぐに映りかねないその組み合わせを、彼女は本当に上手に着こなしていた。
 何だか、兄の上着を黙って借りてきてしまった女の子のような、そういう微笑ましさを感じさせずにはおかない。
 そんな美少女が、僕の方を見て、にっこり微笑んだのだ。ちょっとばかり舞い上がったからって、誰も僕を責められないだろう。
 で、彼女は一緒に入った喫茶店で、「二人で暮らさない?」と切り出してきたのだ。危うく手にしたカップを取り落としそうになったが、どうにか持ちこたえて、僕は聞き返した。
「二人って、僕ときみで?」
「そう。
 私ね、春から一人暮らしをするつもりなの。でも、あんまりお料理とか家事とか、自信なくて。
 それにね、女の子の一人暮らしだと…その、いろいろ気をつけなきゃいけないでしょ? だから、お父さんなんかは「オートロックのところにしろ」って言うんだけど…そういうところって、高価いじゃない。
 だけど、宏人君の仕送りと私の仕送りを合わせれば、無理をしないでもかなりいいところに住めると思うの――――」
 なるほど。筋は通っていた。
 否。通っていると思ってしまった。ないしは、僕自身、筋が通っていると思いたがってしまっていた。
 春から大学生になる。しかも、こんなにかわいい女の子と一緒の家に住める。あまつさえ、誰の邪魔も入らない「二人きりの生活」が出来る。バラ色を通り越してピンクがかった妄想の世界が広がり始め、本能が理性を鈍らせてしまったのだ。
 二つ返事でうなずくのも何だか浅ましいような気がして、僕は「両親とも相談してみるよ」と言ってはるなと別れた。
 実際には、それは相談ではなかった。家に着くとすぐに、僕は両親を説得にかかった。
「あれま。願ってもない申し出じゃない。姉さんのところ、子煩悩だから、きっといい家に住めるよ。
 迷惑だけはかけてくるんじゃないよ。追い出されましたなんて言っても、戻ってくる場所はないからね」
 予想していたのとはずいぶん違う条件付きで、母からOKが出た。
 父は、「まあ、本人が来てくれって言ってるんだから、いいんじゃないか」と、こちらはすんなりGOサインを出した。
 僕はすぐにはるなに電話をした。
「よかった。それじゃ、明日か明後日、会えないかな?」
 はるなの声も、うれしそうだった。
「そりゃ、いいけど…なんで?」
「だって、これから四年間、一緒に過ごすんだよ?
 お互いのことを、よく知っておきたいじゃない。
 それに、家具とか食器とか、選ばないと。あ、部屋も決めないとね」
――――この時点で、気付くべきだったんだと思う。
 じつは、彼女がお金の心配なんてしないでもいい立場にいるってことに。
 全ての順番が逆になってるってことに。
 完全に、彼女の策略にはまりつつあるってことに。
 でも、頭っから舞い上がっていた僕の理性にそれを要求するのは、無理ってものだった。

 今思い返してみても、あの時のはるなと今のはるなが同一人物だとは、ちょっと信じがたい。
 でも、真実だった。
 はるなはわがままで、生意気で、人の話を聞かなくて、自分勝手で、外面ばっかりよくて、遅刻魔で、そのくせ待たされるのは大嫌いで、仕切り屋で、居丈高で、腕っ節が強くて、家事全般がだめで、変なところで潔癖で、「女なら」で始まる意見全般に耳をふさぐ女の子だったのだ。
 会うたびに僕たちはうち解けていったが、同時に僕は彼女ペースに飲まれていった。情けないけど、そうとしか言いようがない。
 今やはるなはかわいいルームメイトではなく、姉の権力と妹のわがままさを兼ね備えた、何とも扱いづらい共同生活者になっていた。
 当初のピンク色は霧散し、これからは、どうしようもないくらい現実的な生活が始まるのだ。
 とは言うようなものの、はるなと一緒に暮らすのにはそれなりのメリットもあった。
 まず、いい家に住めること。はるなの家は三段階評価で「松」に該当するぐらいの金持ちで、月々20万以上の家賃をぽんと払ってくれる。本来支払いは「共同」だったはずだけど、実際にはその大半を彼女の家が持っていた。
 家事にも強くなれそうだ。今までも料理なんかは得意だったし、家でもたまに自分で作っていたけど、これからは、手抜きを許してくれない同居人が出来てしまったのだ。生活力は、間違いなく向上するだろう。
 それに――――
「こりゃ」
 ぽん。と、ビニール袋に入ったゴボウで頭をはたかれた。はるなだ。
「何ボーッとしちゃってるの?」
「…いや、今日の夜は、何作ろうかなーと思って」
「あたし、パスタがいい。
 シャンパンとパスタで、お洒落に。部屋の電気消して、明かりはテーブルキャンドルにするの」
 はるなが表情を輝かせる。
「じゃあ…カルボナーラにしようか。前菜は、ブイヨンベースの温野菜とかで」
 カートをからから押しながら僕がそう言うと、彼女は隣で「ほぅっ…」とため息をついた。
「どしたの?」
「宏人って、お料理の話してるときが、いちばん素敵かも」
「買い物が終わったら、作ってるときがいちばん素敵になるんだろ」
「食事も終わっちゃったら、洗い物してるときがいちばん素敵よ、きっと」
 渋面の僕に、はるなは悪びれるふうもなくそう答えてくる。
「…僕ってば、魅力あふれてるんだね」
「あたしのルームメイトだもの」
 本当に、はるなはイヤミにも皮肉にも動じない。
 でも、僕はそんなはるなが、やっぱりどこかで気に入っていて…そう。
 はるなと一緒に暮らしていて、いちばんのメリットは、きっと、独りじゃないってことなんだろう。

o(^-^o)  Our Happiness !!  (o^-^)o


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