陽の恵み、月の癒し<5>

猫屋敷に向かったのは、ザギヴの発案だった。
「闇の傷跡は、完治するのが遅いの。このままだと、セアラの体力がもたないわ」
「ならば、どうするつもりだ?」
自分を庇ったがために、深手をおったセアラを抱き上げてレムオンが問いかける。背後には、少しばかり不機嫌そうなゼネテスの姿もあった。本当なら自分が抱き上げたかったのかもしれない。だが自分が派手にやられている自覚もあるらしく、何も口にはしなかった。セラといえば、油断なく辺りをうかがっている。
セアラの塞がっても、ふたたび開く傷跡に絶え間なくキュアを施しながらザギヴは口にした。
「猫屋敷に行きましょう。あそこには特殊な結界がある。あの場所なら、闇の傷跡も普通の傷と同じように治療できるはずよ」
それからは、時間との戦いだった。馬を調達して、猫屋敷へと駆けた。その間、セアラを抱えていたのはレムオンだった。無傷で、なおかつ人間の身体能力を上回るダルケニスであることをザギヴに指摘されれば、断ることはできなかった。
猫屋敷に到着したとき、セアラは意識もなく体温も低下し、かぎりなく死に近づいていた。それでも猫屋敷の結界内でキュアをほどこせば、わずかに顔色が戻った。それを見たとき、一行にようやく安堵が広がったのだった。
ケリュネイアが用意した寝台で、セアラは眠っていた。ザギヴの治癒魔法が施され、外傷は消えた。あとは落ちた体力を回復させれば問題はないと、猫の姿になった賢者も太鼓判を押した。
それまでの間、一同は猫屋敷に逗留することになった。ゼネテスは傷を癒し、セラやザギヴも思い思いにくつろいでいた。レムオンは誰とも接触をもたず、ただ賢者の森を散策していた。明るい太陽の下で、ダルケニスの姿をさらす自分に馴れようとするかのように。

セアラの意識が戻り、寝台から離れる許可をザギヴが出した夜だった。
レムオンは相変わらず、周囲と必要最低限の会話しか持たなかったが、誰も咎めるものはなかった。お節介なゼネテスでさえも、セアラの方に興味をとられているようだった。
夜空には、月があった。
満月を過ぎた、十六夜の月だった。
レムオンは月を見上げていた。そして、背後の気配に振り向いた。
賢者の森の木々の間には、少女が立っていた。
輝く銀の髪は、月に照らされた雪のようだった。
レムオンを、じっと見つめていた。
感情の見えない、澄んだ空色の瞳でもって。
両手で抜き身の大剣をもっていた。それは片刃で細身の大剣で、優美な弧を描いていた。すうっと持ち上げられる刃が、月の光にきらめく。少女に、殺気はない。だが、剣先は紛れもなく自分を狙っている。誘われるように、双剣を引き抜いていた。
言葉は、何もなかった。戦いは始まっていた。
風になびく柳枝のようだと、セアラの剣技は評されていた。相手の気迫を受け流し、相手の攻撃に応じて剣をふるう。勝つためではなく、負けないための剣技だった。だが今は違った。ふっ、と姿が消えるように見えた。シャドウノックのスキルだ、と思うよりも先にレムオンは体をひいた。先ほどまでいた場所に、大上段から刃が切り下ろされる。切っ先は地面のわずか上で留まると、次の瞬間、踏み込みざま斜め下の腰のあたりから斬りあげられていた。
一連の動作は、驚くべき速さと鋭さをもっていた。流れるような二撃目をレムオンが避けられたのは、卓越した反射神経のおかげだった。それでも大剣の切っ先は長衣をかすめ、すっぱりと切り裂いている。初めて対峙する強敵に、我知らずレムオンは高揚していた。宮中の試合でも、襲ってくる暗殺者にも負けたことはない。だが、これほどの相手と戦うのは、初めてだった。
左手の剣で、三撃目を受け止める。ぎり、と刀身がこすれあう音がした。右手で胴を薙ぐようにはらえば、小さな姿は素早くレムオンから離れていた。己の利点と欠点をしっているらしい、とレムオンは思う。セアラの利点は、剣の長さと速さだった。対峙した敵との距離、斬撃の間合いを正確に読み取り、有利な距離をとる。そして速さでもって、攻撃にうつるのだ。欠点は、斬撃を止めたときにわかった。力だった。通常の大剣使いのように、力と剣の重さで叩き斬るということが、セアラには出来ないのだ。
ゆっくりとレムオンは動いた。双剣を構え、セアラの右手に回り込もうとする。対するセアラは、右足を軸にすいっと体をまわしてレムオンの正面に立とうとしていた。ふたりは、ぴたりと間合いを保ったまま打突の機をうかがっていた。
セアラはレーグと対決したときのことを、噛みしめていた。ダブルブレードは、動の剣だった。常に変化し意表をつかれる。間合いに取り込まれてしまえば、避けることすら難しい。あのときレーグに勝てたのは、魔法の補助があったからだ。純粋な剣技では、勝つことは不可能だろうと今でも思う。今、目の前の相手を打ち倒したいならば、魔法を使うべきだった。そう解っていても、セアラは剣の柄を握りしめていた。
すぅ、とレムオンの長身が沈んだ。伸びてきた切っ先をセアラは弾き、もう一つをかわした。弾いた勢いのままに、レムオンの喉下を狙うが阻まれる。大気を斬る刃の唸りが、両者の顔のとなりで聞こえている。かすめた切っ先が、銀髪をはらはらと落とす。背後に跳ね飛んだのは、セアラだった。肩と腕のプロテクターの隙間からのぞく二の腕が浅く切り裂かれていた。レムオンもまた無傷ではなかった。頬に一条の赤い線が引かれ、じわりと血が滲んでいる。両者はなおも、間合いをとり向かい合っていた。再び、瞬間の攻防をくり返すために。

猫屋敷にいたはずの者が、いつしか二人の戦いを見つめていた。
「長くはもたんな」
セラが呟けば、ザギヴはあっさりと答える。
「体力が違うでしょう。それに本気で倒す気もなさそうだし」
怪訝な目をするセラに、ザギヴは微笑みながら告げる。彼女は、魔道士としてのセアラを理解していた。
「本気なら、デュアルスペルのライトアロー2発で終わるもの。どうして剣を抜いたのかしら」
呆れたような言葉をもらすザギヴに、剣士としてのセアラを理解しているセラが答えた。
「確かめたかったんだろう…あの男の──太刀筋を」
そう言うセラの視線は二人の太刀筋を、瞬きをすることもなく見ていた。
「…剣を振るう心境は、解りかねるわ」
「剣を交わさなければ、解らないこともある」
剣士らしい言葉に、ザギヴは小さな笑みを零しながら応えていた。
「危険な言葉だこと」

自分よりも巧みに剣をあつかう者を、セアラは何人も知っていた。レーグ、ゼネテス、セラ、アイリーン。だから解った。レムオンは、間違いなく自分よりも強いのだと。それでも戦いを望んだのは、知りたかったからだ。
剣を交え、戦うことでかいま見える何かを。どうしても確かめたかったのだ。生と死が等価になる瞬間でもって───許せるか、否かを。
レムオンが間合いに踏み込めば、銀閃が左肩口を襲った。左手の剣で払い、右手の剣で斜め上からセアラの肩に打ち込む。紙一重でかわした小さな身体が、疾風のようにレムオンの眼前に迫った。鋭い寄り身だったがレムオンは引かず、次の斬撃をセアラの頭上に落としていた。
攻防は一瞬だった。数回、鋼がぶつかりあう鈍い金属音が響いた。これは何度目の交錯なのか。両者とも、もはやわからない。ただ、影が交差するごとに、致命傷には遠い傷が増えていくのだ。
張りつめた戦いは、体力と精神力を奪っていく。先に息が上がったのは、やはりセアラだった。隙はみせずとも、肩で息をしはじめていた。
限界を悟ったのは、同時だったかもしれない。
セアラの剣先が、優美な半弧を描く。渾身の力を込めた刀身がレムオンに打ち込まれる。避けることは不可能な太刀筋だった。疲労のために、速さがわずかに鈍っていなければ。レムオンは、切っ先を見切った。次の斬撃のために剣が振り上げられた瞬間、懐に飛び込んでいた。肘で左腕を押さえ右手の剣の柄でもって、セアラの剣の柄を叩いていた。流れるような、一瞬の出来事だった。
跳ね上げられた剣は宙を舞い、地面に突き刺さる。制したセアラの体からは力がぬけ、ずるずると膝をついた。
地面にぺたりと座り込み、うつむく表情は髪に隠れてみえない。白鳥を思わせる細い首筋は、かすかに震えているようだった。
双剣を納めたレムオンは、セアラの前に片膝をついた。手加減はしなかった。剣を奪うに止めたのは、少女の剣に殺意はかけらもなかったからだ。殺意があったならば、迷わず切り捨てていただろう。たとえそれが、命の恩人であったとしても──おそらく。
「怪我は…」
そう口にしようとして、愚問に気づいた。自分も少女も、傷だらけだった。大きな傷はないが、皮膚一枚裂けば血は流れる。溜息をつきながらレムオンはまずセアラに治癒魔法を施す。温かな光につつまれて、セアラは不思議そうに顔をあげた。大きな瞳は、澄んだ空の色だった。
初めてあったときと変わらない瞳に、変わってしまった自分が映っていた。銀の髪と紅い瞳のダルケニスの姿が。
自分を見上げてくる瞳は、素直だった。嫌悪も否定も感じなかった。レムオンという存在を、見つめていた。ただそれだけのことに満たさてしまう。戸惑うレムオンに、そっとセアラは触れた。頬の薄い傷跡に指を這わせて、告げた。
「ごめんなさい…」
謝罪だった。声が震えているのは、聞き間違いではないだろう。セアラは、懸命に何かを堪えているようだった。空色の瞳が、揺れていた。
「…お互いさまだ」
「そう、ですね…」
レムオンの応えに、セアラは微かにうなずく。大きく動いてしまえば、何かがあふれ出しそうだった。戦慄きを懸命にこらえる細い肩が、大きな手に掴まれる。そのままレムオンの懐に抱き込まれていた。頬に上質の布があたる感触がして、視界は閉ざされた。静かな声が、耳元に落ちる。
「──我慢することはない」
言葉は、許しだったのかもしれない。
止めていたものが堰を切り、あふれ出していた。
何もかもを押し流し、洗い流すように。
セアラは、声をあげ泣きだしていた。
幼子のようにレムオンにしがみついて、泣きじゃくった。
レムオンはセアラを受け止め、ゆるゆると腕をのばし抱きしめていた。


風に乗って、泣き声が聞こえる。
逝ってしまった人を悼み、嘆く声だった。
猫の姿の主が娘にいいつけて出してくれた酒とグラスを手に、ゼネテスは嘆きの声を聞いていた。
傍らにちょこんと腰掛けたオルファウスが、物といたげに見上げてくる。
「いいんですか?」
「何で聞くんだ?」
聞き返したならば、オルファウスは指摘する。
「あなたはセアラの保護者なのでしょう」
「そうそう。他の男に抱きついて、泣いてるぜ?ありゃ、お前の役目だろ」
「どうだろうな…」
からかうように口をはさんだネモに、気のない返事をしながらゼネテスは思う。触れてしまえば、自分の悲しみがあふれてしまいそうだった。
他人の心の機微に敏感な少女は、きっと自分を拒まないだろう。たとえ己の涙を凍り付かせたとしても。そんな姿は、見たくなかった。何よりそうしてしまったならば、自分は叔母にあわせる顔がない。現世で二度と会えないのだとしても。
「俺が抱きしめると、あいつは泣かない気がする」
ぼんやりと呟けば、二匹の猫は器用に肩をすくめていた。
「そりゃ、残念なこった」
「お気の毒に」
「…猫に慰められてもなぁ…」
肩をおとすゼネテスの膝を、ネモは前足でぺしぺしと叩く。視線をゼネテスの手にある酒瓶に固定して言った。
「とりあえず、飲め。そして俺の皿にそそげ」
「私の分も、忘れないで下さいね」
きちんと皿の前にすわったオルファウスも催促していた。
「へいへい…」
なげやりに返事をしながら、ゼネテスは二匹の猫に酌をする。
泣き声は止まない。声をあげて泣けるのならばいい、とゼネテスは思う。悲しいときに、声をあげて泣くことができるのは、心が健康な証だ。そして健康な心とは、強い心なのだから。
泣きやまぬ少女を抱いたレムオンは、途方にくれているに違いない。それを思えば、心の内の暗雲が幾ばくか晴れるようだった。
こんな風に、少しずつ行き場のない想いは薄れていくのかもしれない。行き場のない想いは人を縛ってゆく。溜め込んでしまえば、人は自分が逃れられない悲しみと痛みの檻の中にいることに、いつか気づくだろう。閉じこめられてからでは、遅すぎる。少しずつでも、想いを解放してやらなければならない。ささやかな意趣返しでも、何でもいいのだ。
失ったものはあまりにも大きすぎて、幕引きの紐を引いた相手を許すことは難しかった。だが、救えるものを見捨てることも出来なかった。
救ったあとに後悔するにしても、救わなかった後悔のほうがより大きいのだと、ゼネテスには解っていた。


 エリスさま。
 ごめんなさい。
 言いつけを守れそうにありません。
 怒りも憎しみも復讐も、忘れます。
 貴女の矜持に、敬意を表して。
 けれど、どうか。
 どうか、悲しむことだけは許して下さい。
 貴女を悼むために、涙することを。
 いつか、きっと。
 きっと、花を贈りますから───。

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※チャンバラは、適当です(涙)そんでもって書く度にニセモノ度がUPしていくようなレムオン。今更、路線変更もアレなので諦めることにしました。目指しているのはヒストリカルロマンモドキだしっ! この後、泣き疲れて眠ったセアラはセラ&ザギヴが保護。レムオンはゼネテス達の酒盛りに拉致。たぶん潰されると思う…。