陽の恵み、月の癒し<3>

謁見の間で、レムオンは男を見下ろしていた。幼い頃から、そりの合わない天敵ともよべる男だった。真っ向から敵対したならば、好敵手と呼べたかもしれない。だが、目の前の男は。いつだって、のらりくらりと自分と対決するのを避けていた。
決して臆病風に吹かれた訳ではない。むしろ必ず勝てるという確信が、あるように見えた。それが、昔から許せなかった。
自分の敵として、何故、立たないのか。確かに雌狐エリスは狡猾で、相手にとって不足はなかった。無能な親族に囲まれつつも、己の手を汚し誹謗されることを恐れなかった。その姿は、美しく──孤独だった。
目の前の男ならば、彼女を支え守ることも可能だったろう。結果として、生者と死者は逆転していたかもしれない。もっとも易々と殺されるつもりはなかったから、本当のところはどうなっていたのか解らないが。
傷つき、膝をついた男は何もしなかった。
何もしなかったから、王妃は処刑された。
男もまた、後を追う。
時間の問題だった。
竜騎士の一人が、忌々しげに声を荒げていた。
「クッ、しぶとい奴め!罪を認めろ!そうすればラクにしてやる!」
手にした槍の柄で、乱暴に男の顎を上げる。私刑を加えられ、血を流してなお、男──ゼネテスは笑っていた。
「しぶといだけが…取り柄でね。それにラクにするって…殺すんだろ?それじゃ…折れるわけにはいかねぇ…」
「へらず口を!まだ、英雄のつもりか!?貴様は今、反逆者なのだ!」
乱暴に蹴りとばれて、ゼネテスは身体を折った。ごほごほと咳き込みながらも、目には強い光があった。
「俺は…俺だ」
迷いのない視線にたじろぐ自分を、レムオンは叱咤した。今となっては、全ては手遅れなのだ。自分たちは、戦う機会を逸した。もはや勝敗はついた。勝者は自分で、跪くゼネテスは敗者のはずだ。それなのに。
どうして自分が、いたたまれない思いをしなければならないのか。
レムオンの迷いを見透かすように、ゼネテスは口元を歪めた。危険で酷薄な笑みを浮かべた。ゼネテスが滅多にみせることのない、敵を挑発するための、とっておきの嗤いだった。
「レムオン…相当あせってきたようだな…?千年樹に刻まれた法に従えば もう、時間は…ないもんな」
この男と敵対するということは、こういうことなのか。
はじめて垣間見たゼネテスの本性に、レムオンは無意識に後ずさっていた。剣狼の名にふさわしい、手負いの獣。隙をみせれば、間違いなく喉笛を食いちぎられるに違いない。
目に見えない緊張の糸は、蹴破られるように開かれた扉と誰何の声に、途切れた。
「おのれ、何者だ!? ここに何しにきた!」
次々と白刃が引き抜かれ、切っ先は侵入者に向けられる。
飛び込んできたのは、冒険者だった。黒髪の女魔道士と、やはり黒髪の剣士。片手にさげた抜き身の剣は、血糊を拒否するように妖しく輝いている。最後の一人は、銀の髪をした少女だった。
空色の瞳に見つめられる前に、レムオンは声を上げていた。
「侵入者を捕えろ!」
竜騎士たちは、一斉に三人に襲いかかる。その場にいたのは、よりすぐりの精鋭たちだった。だが、あまりにも実力に差があった。剣士が妖刀を一薙ぎすれば、衝撃波で半分以上が吹き飛ばされ昏倒する。
「ば、馬鹿な、こ、こんな簡単に…!?」
狼狽する竜騎士たちは、剣士の間合いに踏み込めずじりじりと後退していく。冷ややかな目をした青年は、彼らから視線をそらすことなく威嚇していた。騎士達が引いた後には、ぼろぼろになったゼネテスが残される。女魔道士と少女が、傍らに駆け寄っていくのが見えた。その光景は、痛みをレムオンにもたらした。
女魔道士がゼネテスを叱責しながら治癒魔法を施せば、とりあえず起き上がれるほどには回復したらしい。よろめきながらもゼネテスは立ち上がる。
「ありがとよ。ホント、助かったぜ」
心配そうに見上げる少女の髪を、くしゃくしゃとかき混ぜる。開け放されたままの扉から、遠く刻をつげる鐘の音がした。それは千年樹に刻まれた法による拘束時間の終わりだった。
「…時間みたいだな。どうする、レムオン?」
ゼネテスはレムオンを見据えた。敵をみる視線ではなかった。
「………」
レムオンは、ただ沈黙する。今更、和解することなどできるはずもない。及び腰になりながらも、竜騎士たちは残っている。
残された道は、ひとつだった。
双剣に手をかけたとき、場違いな声が謁見の間に響いていた。
「ふふふ…ダメね、レムオン」
高く、柔らかな少女の声。耳に馴染んだ、覚えのある声だった。
空の玉座の前に、闇が渦巻く。ありえない事態に、居合わせたものたちは声もない。静まりかえった謁見の間に、光の王女と謳われた少女が姿を現していた。渦巻いた闇の奥から、かつてタルテュバを闇に堕とした黒髪の少年──シャリと共に。
「ティアナ…?」
呟く自分の声が遠い、とレムオンは思った。
闇から生まれたティアナは、もはや光の王女ではなかった。
優しげな眼差しは凍り付き、朗らかな笑みは妖艶な嘲笑へと変わっていた。レムオンを始め、誰も知らなかったティアナが優雅な素振りで、言葉を紡いでいた。
「お母様を殺せたのは誉めてさしあげてもいいけれど…ゼネテスを殺す器量はなかったのね」
耳を塞ぎたくなる、滴るような悪意のこもった言葉だった。
謁見の間の隅から、闇が噴き出してくる。悲鳴をあげ、逃げまどう竜騎士たちを闇が襲い喰らいつくしていく。絶望の叫びと、肉がつぶされ骨が砕かれる音が、謁見の間の高い天井にこだました。
「ティアナ…まさか、お前さんが黒幕…?」
確かめるゼネテスの問いは、レムオンの問いでもあった。
ティアナは高く声をあげて笑った。狂女のように。だが目は冷たく、笑ってはいない。
「ゼネテス、現実を受け入れないと。まさか、じゃなくて なぜ、って聞いた方がリアルよ?あなたはレムオンと違って現実的な人だと思っていたけれど…買いかぶりすぎたかしら?」
ゼネテスは肩をすくめてみせた。余裕のあるしたたかな態度だった。
「無論、俺は現実的な男さ。驚いたふりで時間を稼いだだけだ。逃げるぞ!」
その言葉と同時に、女魔道士の聖魔法が闇に放たれる。聖属性をまとった剣士の刃が、闇を切り裂く。彼らを押しつつもうとした闇は途切れ、脱出路が開いていた。
更なる道をつくるために剣士が突入し、女魔道士が後につづく。
「レムオン、来い!!」
ゼネテスが呆然と立ちつくすレムオンに呼びかけていた。同じように立ちつくす銀の髪の少女の腕をとりながら。声を耳にしながら、レムオンは首を振った。何もかもが悪夢のようだった。
それならば、いっそ闇に呑まれて終わりにしたかった。
「俺は…俺…は、もう…」
「…ですって、放っておきなさい。ふふふ…」
嗤いながらティアナは闇を操る。
うねりのたうつ闇は、刃のようにレムオンを襲った。
闇がレムオンを貫く寸前。飛び出してきたものが、身代わりになる。
銀の髪をした、小さな身体だった。
闇の刃を背中にうけて、レムオンの懐に倒れ込んでくる。
「セアラ…!」
ゼネテスの声が、信じられなかった。
「…なぜ、かばう?」
問いかけに、空色の瞳がレムオンをみつめた。深く傷ついた瞳だった。レムオンを認めれば、口唇が言葉を形作る。こぼれ出る血で、音にはならなかったけれど。確かに、名前を呼んでいた。
彼女が友だと信じていた──少女の名前を。
「レムオン、セアラを安全なところまで運んでくれっ!頼む!」
動かなくなったセアラをどう見たのか、取り乱したようにゼネテスが叫んでいた。レムオンの腕の中で、セアラは意識を失っていた。だが、まだ生きている。背中の傷から溢れる血潮は熱く、身体は温かい。悪夢に満ちた世界の中で、そのぬくもりだけはレムオンに現実だと告げていた。
「…醜いわ。ダルケニスのくせに人間と手を結ぶ気なのね?闇に生きることもできず、光に生きることもできない。何て不完全な劣等種なの…」
幼なじみで思いを寄せていた少女もまた、レムオンに現実を告げる。
ティアナ。腕の中の少女は、彼女を呼んだ。レムオンをかばったのは、ティアナのためだった。これほど思われていたのに。レムオンが望むことさえできなかったものを、ティアナは手に入れていたのに。
闇に堕ちた王女に、心は届かない。
セアラを抱き上げるレムオンをティアナは心底、厭わし気に睨み付けていた。
「汚らわしい手で、セアラに触れないで!目障りよ、消えなさい…!」
闇が再び襲いかかってくるよりも先に、レムオンは叫んでいた。
「──ダルケニスで何が悪い!」
叫びと同時に、隠していた能力を解き放つ。それは、強力な空間転移の魔力だった。


謁見の間に、白い光が満たされる。光が薄れ、広間を闇が再び覆い隠したとき、残っているのはティアナとシャリの二人だけになっていた。蠢く闇は竜騎士たちの死骸をむさぼっているが、生者の姿は他になかった。
「あれれ。また逃げられちゃったかな? まぁ、いいや。世界を消せば同じことだよね。ティアナ」
おどけたようなシャリの呟きに、忌々しげな表情のままティアナは頷いていた。

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※捏造満載リューガの変の終わりでした。このイベント、何回みてもゼネテスが美味しいトコ取りで(涙)画面に向かって何度叫んだことか。「変われ〜!殴らせてくれーっ!」…よっぽど自分は、レムオンを殴りたかったみたいです。もいっこ庇いたかったという願望を、今回は形にしたりなんかして。しかしまだ会話がありません。ど、どうしましょう…次の猫屋敷で、主人公、レムオンをサクッと殺しそうだ…(涙)そうなっちゃうと、話が続かないんですが。とほほ。